●アイセル湖【アイセルこ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アイセル湖
アイセルこ
IJsselmeer
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デジタル大辞泉
アイセル‐こ【アイセル湖】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
アイセル湖
あいせるこ
Ijsselmeer
オランダ北西部にある人工の淡水湖。標高海面下6メートル、面積約1200平方キロメートル、水深は大部分が5メートル未満。ローマ時代には狭い水路のみで北海と結ばれていた閉鎖的な湖で、フレボ湖Flevomeerとよばれたが、中世の海進によって巨大なゾイデル海が形成された。20世紀初めでも東西約30~50キロメートル、南北約100キロメートルで、面積約4000平方キロメートルの広い水域を有していた。海水の浸入を防止して農地を拡大するため、ここを干拓する計画はすでに17世紀からあったが、具体化するのは1891年に提出されたレリーC. Lely博士の計画以後で、1918年には「ゾイデル海工事法」が議会を通過して、国営で干拓工事が始められることになった。
まずゾイデル海の入口を締め切るため、1927~1932年にウィーリンゲンWieringen島から東岸までの約30キロメートルに及ぶ大締切堤防が築造され、これによりゾイデル海はアイセル湖に変わり、淡水化された。アイセル湖中には五つの巨大ポルダーの干拓が計画され、先に完成したウィーリンガー湖ポルダー、北東ポルダー、東フレボラントは入植が完了して大規模な酪農や畑作が営まれている。南フレボラントも干拓を終えて、西端にアムステルダムの衛星都市としてアルメールAlmereが建設され、住宅・工業、森林・レクリエーション用地にも利用されている。最後のマルカーワールトは1975年に囲堤(いてい)が完成したものの、残余のアイセル湖の水質汚染、野生動物への悪影響などの環境問題への配慮から、政府は1991年に最終的に中止を決定した。しかし一般的には、干拓によって水害が防止され、淡水化した湖水は灌漑(かんがい)と工業用水に利用されて、人口問題の解決と産業用地の獲得に役だってきたのは事実である。
[長谷川孝治]
『勝井規和写真、勝井悦子文『オランダ・ベルギー物語』(1989・グラフィック社)』▽『香山寿夫監修、石田寿一著『低地オランダ――帯状発展する建築・都市・ランドスケープ』(1998・丸善)』
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精選版 日本国語大辞典
アイセル‐こ【アイセル湖】
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