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アイユーブ朝【アイユーブちょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

アイユーブ朝
アイユーブちょう
Ayyūb
エジプト,シリアパレスチナ,上メソポタミアイエメンを支配したスンニー (正統) 派のイスラム王朝 (1171~1250) 。首都はカイロ。 1169年,シリアのザンギー朝の将であったクルド族のアイユーブ家のサラディンは,エジプト宰相として事実上その支配者となり,さらに 71年にはシーア派であるファーティマ朝のカリフ制を廃止し,アッバース朝カリフの権威を復活して分裂したイスラム世界の再統一をはかった。イクター制を施行し,トルコ人,クルド人を中心に軍隊制度を整備すると対十字軍戦争に乗出し,87年にはハッティンの戦いで十字軍を破って,エルサレムを 88年ぶりにイスラム教徒の手に取戻した。サラディンの死後,帝国はアイユーブ一族の間で分割されたが,スルタン,カーミル (在位 18~38) の時代まではアイユーブ家の統一は比較的よく保たれていた。その後一族の内紛によって衰退に向い,1250年,スルタン,サーリフ (在位 40~49) が雇い入れたマムルーク軍人の蜂起によって王朝は崩壊した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

アイユーブ‐ちょう〔‐テウ〕【アイユーブ朝】
Ayyūb》1169年、シーア派ファーティマ朝を倒して、サラディンが建国した、スンニー派のイスラム王朝。カイロを首都として、エジプトとシリアを支配し、十字軍勢力に対抗。1250年マムルーク朝の成立で滅亡

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

アイユーブちょう【アイユーブ朝 Ayyūb】
エジプト・シリアを中心に,ジャジーラからイエメンを支配したスンナ派のイスラム王朝。1169‐1250年。首都はカイロ。1169年ファーティマ朝の宰相となってエジプトに主権を確立したサラーフ・アッディーンは,イスマーイール派に代えてスンナ派の支配体制を復活し,またイスラム世界統一のためにアッバース朝カリフの宗主権を認めて自らは王(マリク)と称した。73年には兄トゥーラーンシャーTūrānshāh(?‐1180)をイエメンに派遣して,東西貿易の独占を図る一方,翌年ザンギー朝ヌール・アッディーンが没すると,これを機にシリアからジャジーラへと支配権を伸ばし,十字軍包囲の体制を固めた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

アイユーブちょう【アイユーブ朝】
サラディンがエジプトに建てたスンナ派のイスラム王朝(1169~1250)。エジプト・シリア・パレスチナを支配し、第三回十字軍のイスラム世界への侵入を阻止した。首都はカイロ。マムルーク朝に倒された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

アイユーブ朝
あいゆーぶちょう
Ayybids
ザンギー朝の部将であったクルド人のサラーフ・アッディーン(サラディン)が、1169年にエジプトのイスマーイール派のファーティマ朝を倒して建てた王朝。その領域はエジプトから始まり、シリア、ジャジーラ(イラクの北西部とシリアの北東部を含むステップ地帯)、そしてイエメン(1229年まで支配)にまで広がっていた。サラディンはエジプトを王朝の本拠地として、他の地域は分割して一族に与えて支配させた。アイユーブ朝はスンニー派イスラムの旗手として、アッバース朝カリフの宗主権を認め、スンニー派ウラマーの育成・登用などを通じて、またモスクやマドラサ、ハーンカー(スーフィーの修道場)などの建設を通じて、積極的にスンニー派の振興に努めた。また十字軍に対しても、イスラム側の反撃の先頭にたち、その勢力を大きく後退させた。しかし13世紀になると、複雑な政治情勢もあって和戦両面の政策に転換した。同朝の安定も第5代スルタン、カーミル(在位1218~1238)の時代までで、その後は内部分裂が激しくなり、1250年に自らの軍隊内のトルコ系マムルーク将校たちのクーデターによって倒された。アイユーブ朝の一派は15世紀までジャジーラの一地方勢力として残った。[湯川 武]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

アイユーブ‐ちょう ‥テウ【アイユーブ朝】
(アイユーブは Ayyūb) サラディンの建設したスンニー派のイスラム王朝。一一六九年、エジプトのファティマに代わって成立。次第に版図を広げてシリア、パレスチナ、イエメンなども支配し、一二五〇年マムルーク朝が成立するまで続いた。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

アイユーブ朝
アイユーブちょう
Ayyūb
1169〜1250
ファーティマ朝につぐカイロを都としたイスラーム王朝
シリア地方のクルド人であるアイユーブ家出身の宰相サラディンが前王朝を倒して建設。トリポリからイエメン・メソポタミアの大半を領有する帝国に発展し,イェルサレム王国占領,第3回十字軍を撃破した。スンナ派を奉じ,灌漑農耕を整備・拡充した。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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