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アイルランド問題【アイルランドもんだい】

世界大百科事典 第2版

アイルランドもんだい【アイルランド問題 Irish Question】
イギリスのアイルランド支配からおもに生じたアイルランド社会の諸問題。問題をアイルランドの外側からとらえた場合の表現として用いられることが多い。〈紛争〉〈やっかいな問題〉という響きもある。具体的には,土地問題,宗教問題,民族の自治または独立の問題を指す。アイルランド人はチューダー朝期からイギリス革命期にかけてたびたび土地を没収され,18世紀には異教徒刑罰諸法の影響も加わって,住民の大部分を占めるカトリック教徒は土地を失い,イギリス系地主(多くはプロテスタント)とアイルランド小作農(カトリック)という農村構造ができ上がった。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

アイルランド問題
あいるらんどもんだい
Irish QuestionIrish Problem
イギリス支配に反抗したアイルランドに手を焼いたイギリスが、アイルランドに関するやっかいな問題を総称してこうよんだ。現代のアイルランドではイギリス植民地支配がつくり出した問題だとして「アイルランドのイギリス問題」という。
 イギリス支配は12世紀に始まるが、17世紀のジェームズ2世とアイルランド・カトリック軍の敗北でアイルランドは本格的な植民地支配を受けることになった。それはカトリック教徒に対する徹底した差別と18世紀に入って成長してきた商工業に対する抑圧、とくに貿易制限であった。18世紀の西ヨーロッパは市民革命期に入り、アイルランドにおいても都市の商工業を営む市民(プロテスタント)を中心に革命運動が盛り上がった。その課題は第一に自由貿易、第二に自治議会、第三にカトリック解放で、アメリカ独立、フランス革命といった国際環境にも恵まれて徐々に実現していった。同時にプロテスタントもカトリックも含めて、また先住ケルト系にアングロ・サクソン系、ノルマン系を含めてアイルランド民族としての意識が強まり、独立の共和国を求める運動が、1798年のユナイテッド・アイリッシュメンの武装蜂起(ほうき)となった。このようにアイルランド問題は市民革命の問題であると同時に民族問題となったのである。[堀越 智]

19世紀

しかし、1798年の蜂起が失敗してアイルランドは1801年にイギリスに併合され、連合王国に組み込まれた。最初の問題は前世紀に不十分にしか果たせず、そして併合時のイギリス政府の約束であるカトリックの全面解放であった。1829年にそれがカトリック教徒解放法として実現すると、その指導者オコネルは併合法を廃止して自治議会を復活させる運動に進んだ。この時期は産業革命期でもあり、貧しいアイルランド労働者が大量に流入し、都市にスラム街を形成したためアイルランド問題は、イギリス国内のアイルランド人問題とも深く関係するようになった。
 アイルランドではイギリスとの連合によってブリテン人意識が生じてくるが、一方では宗派の違い、人種の違いを超えてのアイルランド民族意識の高揚もあった。人口を4分の1も減少させた19世紀なかばの大飢饉(ききん)が反英感情を強め、19世紀後半にはパーネルの国民党によって強力になった自治運動がイギリス政府を困らせ、またアイルランド共和主義同盟IRB(フィニアン)による武力主義も土地問題に苦しむ民衆に根強い支持を受けた。しかもこの両者は密接な関係をもちつつ運動を展開したので、困り果てたイギリス政府はとくにアイルランド問題を最重要課題とした。3回にわたる土地戦争の結果、不在地主制度が廃止になり土地問題は基本的に解決したが、自治・独立問題は容易ではなかった。イギリス保守党の反対もあったが、それ以上にイギリスとの連合の継続を強く願うユニオニスト(プロテスタント)が、1912年に提出されて成立が確実視された第三次自治法案に対して武力を行使してでも阻止すると強硬姿勢をみせたのである。[堀越 智]

現代

第一次世界大戦が始まるとアイルランド自治問題は一時棚上げになったかのようにみえたが、それはイギリス側の思惑であって、「イギリスの危機はアイルランドの好機」というアイルランドの急進的ナショナリストは、早速、武装蜂起を準備した。1916年のイースター蜂起は敗北に終わったが、イギリスの無差別な鎮圧政策が穏健派と急進派とを結合させる結果となり、大戦終了後の総選挙で圧勝し、その後の独立戦争も戦いぬいて、1921年のイギリス・アイルランド条約でナショナリストが圧勝しアイルランド自由国として独立に近い自治を獲得した。
 自由国はその後、1937年に「エール」と国名を改めて事実上独立し、第二次世界大戦後の1949年にアイルランド共和国として完全に独立、イギリス連邦からも離脱した。しかし東北部6県が北アイルランドとして連合王国に残されたことは現在も紛争の続く深刻な問題を残すことになった。
 アイルランドのナショナリストは南北分割を認めたわけではなく、共和国憲法は北アイルランドも含めてアイルランドの領域と規定している。そのナショナリズムは独立当初、民族文化とくに民族語の復活に力を入れた。しかしほとんど死語同然になっていたゲール語を復興することは困難で、初等教育でのゲール語修得、公務員採用試験や大学入試への義務づけ、ゲール語使用地域の保護などを行っているが、現在も衰退の道をたどっている。ナショナリズムが後退したのは、独立から半世紀を経て国家基盤が固まってきたことの自信もあり、また歴史的な貧困から脱却するためにはナショナリズムよりは経済成長という選択の問題からでもあった。外国企業の誘致に積極的に取り組み、さらに1973年にEC(ヨーロッパ共同体)に加盟してから経済成長が徐々にではあるが、進んだ。1990年代後半には電子産業の好調からアイルランド・ポンドはイギリス・ポンドを上回るほどになって、スコットランド国民党が「われわれの目標はアイルランドだ」というほどである。
 アイルランド問題はこのように独立によって基本的に解決しつつある。残る北アイルランド問題も和平プロセスにもアイルランド政府が重要な役割を果たすようになっている。[堀越 智]
『堀越智著『アイルランド民族運動の歴史』(1979・三省堂) ▽T・W・ムーディ、F・X・マーティン編著、堀越智監訳『アイルランドの風土と歴史』(1982・論創社) ▽P・B・エリス著、堀越智・岩見寿子共訳『アイルランド史―民族と階級』上下(1991・論創社) ▽上野格著「アイルランド」(松浦高嶺著『イギリス現代史』所収、1992・山川出版社) ▽松尾太郎著『アイルランド民族のロマンと反逆』(1994・論創社) ▽S・マコール著、小野修編、大渕敦子・山奥景子訳『アイルランド史入門』(1996・明石書店) ▽波多野裕造著『物語アイルランドの歴史』(中公新書) ▽R・フレシュ著、山口俊章・山口俊洋共訳『アイルランド』(白水社文庫クセジュ) ▽オフェイロン著、橋本槙矩訳『アイルランド―歴史と風土』(岩波文庫)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社世界史事典 三訂版

アイルランド問題
アイルランドもんだい
イギリスに支配されたアイルランドの貧困・宗教・独立をめぐる問題
17世紀半ばの征服により植民地とされたアイルランドは,土地を奪われて,農民の6割が極貧農,3割が貧農となり,工業の発達をおさえられ,穀物を輸出してじゃがいも常食とし,泥土の小屋に住まなければならなかった。このため少しの不作でも飢饉となり,多くの移民がイギリス・アメリカに渡った。1829年カトリック教徒解放法が成立し,19世紀後半より土地戦争・自治運動が強力に進められた結果,グラッドストンの土地法が成立し,以後土地の買い戻しが進んだ。また1922年自治領アイルランド自由国の成立後も完全独立を求める運動が続いた。1960年代末以降,北アイルランド問題アイルランド共和国軍(IRA)の闘争が続いたが,1998年4月の北アイルランド和平協定調印で平和的解決の動きが実現した。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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