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アウクスブルクの和議【アウクスブルクのわぎ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

アウクスブルクの和議
アウクスブルクのわぎ
Augsburger Religionsfriede; Peace of Augsburg
1555年アウクスブルク帝国議会で結ばれた神聖ローマ皇帝と新教等族 (特権諸身分) との間の講和。皇帝カルル5世から全権を委任されたその弟フェルディナントはこのなかでアウクスブルク信条に従う教会 (ルター派) の存在を認め,諸侯には旧教,新教の選択の自由を,領民には同じ信仰領主のもとへの居住の自由を認め,帝国内の自由都市には両者共存を認めた。他面旧教に対しては旧教領内の諸侯が改宗した場合には旧教の後継者をつかせるとの保留権を認めた。これにより宗教改革以来の新旧両派の争いは収拾されたが,その妥協的性格のために三十年戦争遠因となった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

アウクスブルクの和議
あうくすぶるくのわぎ

ドイツの宗教改革問題をめぐって起こったカトリックとプロテスタントとの対立を収拾するための法令。1555年のアウクスブルクAugsburg帝国議会で決定され、同年9月25日に公布された。これによってルター派はカトリックと並んで公認されることになったが、「支配者の宗教がその領内で行われる」との原則に示されるように、宗派の選択権をもつのは諸侯だけであり、それとは異なる宗派の信仰を守ろうとする住民には、その領内から立ち去る自由が認められただけであった。また大司教や司教らの宗教諸侯がルター派に改宗する場合には、その地位を失い、その所領はカトリック側に留保されることになっていた。この和議によってドイツの宗教的対立からくる紛争はいちおう解決されたが、カルバン派などルター派以外のプロテスタントを認めず、カトリック側にやや有利な内容をもつ妥協的な解決策は、やがて三十年戦争の勃発(ぼっぱつ)を招く因となった。

[中村賢二郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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