●アケメネス朝【アケメネスちょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アケメネス朝
アケメネスちょう
Achaemenian Dynasty; Achaemenidae
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デジタル大辞泉
アケメネス‐ちょう〔‐テウ〕【アケメネス朝】
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世界大百科事典 第2版
アケメネスちょう【アケメネス朝 Achaemenes】
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精選版 日本国語大辞典
アケメネス‐ちょう ‥テウ【アケメネス朝】
出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版
アケメネス朝
アケメネスちょう
Achaemenes
オリエントを統一したペルシア帝国の王朝
パールス(現ファールス)におこり,アケメネスは王朝の始祖の名。初めメディアに服属していたが,キュロス2世(在位前559〜前529)のとき,メディア・リディア・新バビロニア王国を滅ぼし,次王カンビュセス2世はエジプトを征服し,ダレイオス1世の時期には,東はインダス川,西はエーゲ海に至る大帝国を現出した。全オリエント世界を統治し,サトラップ制度を確立,“王の目,王の耳”による監察を行い,駅伝制を設けて交通制度を整え,古代オリエント的中央集権国家を完成した。領内諸民族に対しては寛容で,軍役と貢納義務を果たせば宗教・文化・制度などを尊重した。ダレイオス1世とクセルクセス1世との2代にわたり,ギリシアを攻撃し,ペルシア戦争を起こしたが失敗した。その後も繁栄を続けたが,ダレイオス3世のときにアレクサンドロス大王と戦い,イッソスの戦いとアルベラの戦いで敗れ,前330年滅亡した。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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