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アスキス

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

アスキス
Asquith, Anthony
[生]1902.11.9. ロンドン
[没]1968.2.
イギリスの映画監督。 1928年『流れ星』 Shooting Starsで監督となる。 L.ハワードとの共同監督作品『ピグマリオン』 Pygmalion (1938) で G. B.ショー戯曲の映画化に成功した。地味で堅実な作風をみせて,戦前からイギリス映画界の代表的監督として知られた。おもな作品『ブラウニング版』 The Browning Version (50) ,『若い恋人たち』 The Young Lovers (54) ,『黄色いロールス・ロイス』 The Yellow Rolls-Royce (64) など。

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アスキス
Asquith, Herbert Henry, 1st Earl of Oxford and Asquith
[生]1852.9.12. ヨークシャー,モーリー
[没]1928.2.15. バークシャー,サットンコーティネー
イギリスの政治家。オックスフォード大学卒業。 1886年自由党の下院議員として政界入り。 1892~95年 W.グラッドストーン内閣の内相時代,行政手腕と巧みな弁舌で名声を博し,自由党の大物の1人となった。 1905年 H.キャンベル・バナマン内閣の蔵相となり,08年キャンベル・バナマンの引退により首相に就任。在職中,D.ロイド・ジョージ蔵相の海軍拡張計画とそのための増税案を含む予算案を上院が否決したことから上院改革に乗出し,11年議会法を制定して予算案に対する上院の拒否権を奪った。第1次世界大戦に際し挙国一致内閣を組織して対処したが,西部戦線の膠着やガリポリ作戦の失敗,アイルランドの復活祭蜂起などをめぐって国民の批判が強まり,閣内不統一のため 16年 12月首相を辞任。 25年貴族に列せられ 1st Earl of Oxford and Asquithの称号を授与された。著書『イギリス議会 50年』 Fifty Years of British Parliament (1926) 。

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世界大百科事典 第2版

アスキス【Herbert Henry Asquith,1st Earl of Oxford and Asquith】
1852‐1928
イギリスの自由党政治家。父はヨークシャーの非国教系の織物業者。オックスフォード大学卒業後,弁護士となり,1886年に下院に入る。92‐95年グラッドストン内閣の内務大臣,1905年キャンベル・バナマン内閣の大蔵大臣をへて,08年病気辞職した同首相の後を継ぐ。アスキス内閣は,多くの社会立法を行い,09年ロイド・ジョージ蔵相の〈人民予算〉をめぐって上院と対立すると,〈議会法〉を成立させて上院の権限削減を断行した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

アスキス【Herbert Henry Asquith】
1852~1928 イギリスの政治家。自由党総裁。1908年首相。社会保障政策を推進。上院の権限を抑え下院優越を確立。第一次大戦の指導に批判が高まり16年辞職。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

アスキス
あすきす
Herbert Henry Asquith, 1st Earl of Oxford and Asquith
(1852―1928)
イギリスの政治家。9月12日ヨークシャーに生まれる。オックスフォード大学を卒業後、政界に入り、グラッドストーン派の自由党下院議員として頭角を現し、1892~1895年、内相として入閣した。第二次ブーア戦争中は、戦争を支持する自由帝国主義者の一員となった。1905~1908年に蔵相を務めてから、1908年4月首相に就任し、ロイド・ジョージ蔵相とともに「人民予算」を成立させた。さらに、保守党の激しい抵抗を押し切って、上院の力を制限する議会法を1911年に制定した。イギリスを第一次世界大戦に参戦させ、1915年5月弾薬不足とダーダネルス作戦の失敗の責任を問われて、自由党単独政権の維持が不可能になったのちも、連立内閣の首相として残ったが、より効率的な戦争指導を求める声のなかで、1916年12月辞任に追い込まれた。それ以降は、自由党反ロイド・ジョージ派の領袖(りょうしゅう)として活動した。1928年2月15日没。[木畑洋一]

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精選版 日本国語大辞典

アスキス
(Herbert Henry Asquith ハーバート=ヘンリー━) イギリスの政治家。自由党総裁、首相(在職一九〇八‐一六)。社会政策立法を強力に推進したが、第一次大戦の戦争指導で批判を受け、辞任。(一八五二‐一九二八

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