●アナクレオン
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アナクレオン
Anakreōn
[没]?
ギリシアの抒情詩人。前 545年頃ペルシアの侵入によりテオス市民たちとトラキアに逃れ,アブデラに植民した。彼自身は定住せず,サモスのポリュクラテス,アテネのヒッパルコスなど各地の僭主たちの宮廷に招かれ,テッサリアの王宮にも滞在。彼の詩は酒や恋を歌った軽い遊戯的なものが多く,彼の用いた多種多様な詩形のなかにはアナクレオン詩句と呼ばれる単純明快な韻律があり,文体も簡潔だったために,多くの模倣者を生み,『アナクレオンテア』 Anakreonteaという後世の模作集が現存する。彼の詩集はヘレニズム時代に抒情詩 (メロス ) のほかに,エレゲイア,イアンボス,エピグラムなどを含めて6巻が編まれたが,現存するのは断片百数十のみ。
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デジタル大辞泉
アナクレオン(Anakreōn)
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世界大百科事典 第2版
アナクレオン【Anakreōn】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
アナクレオン
あなくれおん
Anakreon
(前570ころ―前480ころ)
古代ギリシアの叙情詩人。小アジアのテオス生まれ。ペルシアの侵略によって故郷を去り、市民とともにアブデラの町を建設した。そののち、サモス島の僭主(せんしゅ)ポリクラテスの宮廷に招かれ、その息子に詩歌や音楽を教えた。この僭主が殺されると、アテネの僭主に迎えられ、そののちも各地の王侯貴族の館(やかた)に招かれて、名声も高く、市民からも親しまれていた。彼の詩は、大部分が酒、美少年、乙女、恋を歌った軽快なもので、豊かな情緒と鋭い感受性に恵まれたこの風流詩人が広く愛されていたことは、アテネのアクロポリスに彼の像が建てられたことや、後世にも多くの愛好者、模倣者を出したことからもうかがわれる。彼の詩は断片が百数十編残っており、その韻律を模倣して後代につくられた短詩60編余が、アナクレオンテイア(アナクレオン風)の名で伝わり、後の詩人たちにも大きな影響を与えた。
[大竹敏雄]
『呉茂一訳『ギリシア抒情詩選』(岩波文庫)』
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旺文社世界史事典 三訂版
アナクレオン
Anakreon
前5世紀前半に活躍した,イオニア出身の古代ギリシア叙情詩人
各地の独裁者の宮廷を歴訪し,酒と恋をうたった。詩5巻を残したが,大部分は失われ,『アナクレオンテア』と称する短詩集も後世の模作である。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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