●アルカディウス
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アルカディウス
Arcadius, Flavius
[没]408
東ローマ皇帝 (在位 383~408) 。テオドシウス1世から帝国の東半分を与えられ,帝国分裂後の東帝国初代皇帝となったが,ルフィヌス,エウトロピラス,アンチミウスらの側近に実権を握られ,外政面ではゴート人の侵入を受けた。
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デジタル大辞泉
アルカディウス(Arcadius)
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世界大百科事典 第2版
アルカディウス【Flavius Arcadius】
ローマ帝国東帝。在位383‐408年。テオドシウス1世の長子。383年父からアウグストゥス位を授与され,395年父帝の死により帝国東部の支配者となる。しかし,ルフィヌス,エウトロピウス,アンテミウスなどの廷臣に統治の実権を握られ,また妃エウドクシアにも特に内政面で強い影響力を振るわれて,キュレネのシュネシオスがその《君主政論》(399)で説いたような主体性を欠いていたため,政情は乱れた。【後藤 篤子】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
アルカディウス
あるかでぃうす
Flavius Arcadius
(377ころ―408)
ビザンティン帝国皇帝(在位395~408)。383年父帝テオドシウス1世によりアウグストゥス(正帝)の称号を受け、394年にローマ帝国の東部を委託された。翌395年父帝の死後、弟ホノリウスと帝国を分割統治、彼は東ローマの皇帝となった。しかし病弱で政治にほとんど影響力をもたず、実権は妃エウドキシアや側近のルフィヌス、エウトロピウスらの手中にあった。彼らはダキアとマケドニアの帰属をめぐって西ローマ帝国の最高司令官でゲルマン人のスティリコと対立したが、この東西の不和を利用して396年アラリック率いるゲルマン民族の西ゴート人が帝国内に侵入、略奪を行い、一時コンスタンティノープルを占領されるなど、5年にわたり治世が乱れた。
[島 創平]
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精選版 日本国語大辞典
アルカディウス
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旺文社世界史事典 三訂版
アルカディウス
Arcadius
最初の東ローマ(ビザンツ)帝国皇帝(在位395〜408)
テオドシウス帝の子。父の死後,弟ホノリウスとローマ帝国の共同統治者となり,帝国の東半部を分治。西ゴート族の侵入で領内のギリシアが荒らされた。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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