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アルノー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

アルノー
Arnauld, Antoine
[生]1612.2.6. パリ
[没]1694.8.8. ブリュッセル
フランスの神学者,哲学者。 1632年サン=シランの神父のすすめで法学から神学に転じ,彼の指導下で司祭となり,41年神学博士となる。その頃着手され 43年出版された『頻繁な聖体拝受について』 De la fréquente communionは大成功を収め,師を継いでジャンセニストの理論的主柱となってイエズス会と激しく対立。彼が刊行をすすめたパスカルの『プロバンシアル』の出版された 56年ソルボンヌを追放され,ポール=ロワイヤル・デ・シャンに隠遁。そこで 60年ランスロとともに『ポール=ロワイヤルの文法』 La grammaire générale de Port-Royal,62年ニコルとともに『ポール=ロワイヤルの論理学』 La logique de Port-Royal,67年『新幾何学入門』 Nouveaux éléments de Géométrieを出版。 79年ポール=ロワイヤル・デ・シャンの破壊とともにオランダに亡命。 85年マルブランシュ批判を含む『哲学的神学的省察』 Réflexions philosophiques et théologiquesを出版。哲学上はデカルト派に属し,文通によってライプニッツの思想形成に影響を及ぼした。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

アルノー【Antoine Arnauld】
1612‐94
フランスの神学者,哲学者。ポール・ロアイヤル運動と深い関係をもつアルノー一家の一人,〈大アルノー〉とよばれる。ジャンセニスムの指導者として,数々の迫害をうけながら,アウグスティヌス的な神中心の恩寵観を擁護し,キリスト教ヒューマニズムとの妥協の道を探る近代主義的傾向,とりわけイエズス会とはしばしば論争を交えた。とくに《頻繁な聖体拝受》(1643)は有名。他方プロテスタントに対しては,聖体問題を中心にカトリック教会の立場を擁護した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

アルノー
あるのー
Antoine Arnauld
(1612―1694)

フランスの神学者。「大アルノー」とよばれる。1641年パリ大学神学博士となる。古代の厳格な戒律への復帰を説き、非カトリック的要素を有するジャンセニスムの指導者として、近代主義のイエズス会と争う。1643年に有名な『頻繁なる聖体拝領について』を著し、イエズス会の道徳説を論難した。このため同会との対立が激化し、1656年パリ大学から除名され、1668年まで身を隠した。ルイ14世によるジャンセニスト弾圧のため、1679年ベルギーに逃れて、その地で没した。ポール・ロアイヤル修道院付属学校のために、文法学者のランスロClaude Lancelot(1615―1695)とともに『文法』(1660)を、神学者のニコルPierre Nicole(1625―1695)とともに『論理学』(1662)を著した。デカルトの『省察』に対する論駁(ろんばく)、マルブランシュやライプニッツとの哲学的応酬でも知られる。

[香川知晶 2015年5月19日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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