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アンジュー家【アンジューけ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

アンジュー家
アンジューけ
Anjou
フランス西部のアンジュー地方を領有した伯家を第1アンジュー家とする3つの貴族家系。 (1) 第1アンジュー家は,言い伝えによればアンジェルジェ (888没) から,実際はフルク1世 (在位 888~938) から始る。続くフルク2世 (在位 942~958) ,ジョフロア1世 (在位 958~987) を経て,勇猛果敢なフルク3世 (フルク・ネラ〈972~1040〉) ,ジョフロア2世 (マルテル〈06/7~60〉) ,ジョフロア5世 (ジョフロア・プランタジュネ〈1113~51〉) とその子アンリ・プランタジュネ (のちのイギリスプランタジネット朝初代のイングランド王ヘンリー2世〈在位 54~89〉) の諸伯は肥沃なアンジュー地方を周辺の大諸侯勢力から守るとともに,内政を整え,アンジュー家の根拠地とした。ジョフロア5世はかぶとに「えにしだ」 genêtの小枝を差したところからプランタジュネ (えにしだの木) とあだ名されたが,イングランド王でノルマンディー公ヘンリー1世の娘マティルダと結婚したため,その子アンリ・プランタジュネはアンジュー伯領のほか,母からイングランドとノルマンディーを継承した。アンリはさらにフランス王ルイ7世に離婚されたエレオノール・ダキテーヌ (エリナー ) との結婚 (52) によってポアトゥ,ガスコーニュ,ギュイエンヌ諸地方を取得,1154年イングランド王位につき,のちルイ7世と戦ってブルターニュをも入手し,イングランドとフランス西半部の広大な所領をあわせもつ「プランタジネット帝国」 (アンジュー帝国) を形成した。 (2) 第2アンジュー家は,フランス王フィリップ2世がフランス内イングランド領をイングランド王ジョンから取戻し (1203) ,アンジュー伯領をフランス王ルイ8世の次男でルイ9世のシャルルアパナージュ (国王親族封) として授封 (46) したことから始る。シャルルはシャルル1世 (在位 66~75) としてシチリア王となり,「シチリアの夕べの祈り事件」 (82) 以来居をナポリに移し,ナポリのアンジュー家として 1435年まで存続。 (3) 第3アンジュー家はフランス王フィリップ3世の第3子シャルル・ド・バロア (1270~1325) から発する。ナポリ王シャルル2世の娘マルグリートとの結婚により,アンジュー伯,メーヌ伯となる。ルネ1世 (1409~80,名目上のナポリ王,プロバンス伯) まで存続。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

アンジューけ【アンジュー家】
フランス西部,ロアール川沿いのアンジュー地方(中心都市アンジェ)を支配した家柄。主として二つの家系がこの名で呼ばれる。(1)10世紀からこの地を中心に勢力を拡大してカペー王家と対抗し,婚姻関係からイギリス王位を得てプランタジネット朝を開き(1154),イギリスと西フランスを合わせた〈アンジュー帝国〉を建設した家。(2)前者からこの土地を奪ったカペー王家のルイ9世(聖ルイ)が弟のシャルルをアンジュー伯に任じた(1246)ことから始まる家柄。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

アンジュー家
あんじゅーけ

10世紀以降フランスの西部アンジューAnjou地方を領有した伯家。アンジュー家は、ロアール川の下流に北から注ぐマイエンヌ、サルト両川の中流からロアール川の南岸にかけて威勢を誇った。一族の根城はアンジェにあった。11世紀前半、フルク・ネルラ(黒いフルクの意)の代に、東のトゥレーヌに勢力を広げ、12世紀初頭、北のメーヌ伯領も併合された。こうして12世紀のアンジュー家は、北にノルマンディー、南にポアトゥー、東にブロア、西にブルターニュの諸侯伯と相対峙(たいじ)する大勢力であった。フランス王家のカペー家はまだ弱体で、これら諸侯伯の合従連衡(がっしょうれんこう)が歴史を動かしていた時代である。

 12世紀前半、アンジュー家の当面の敵は、ノルマンディー侯位・イングランド王位を僭称(せんしょう)するブロア家のエチエンヌ(イングランド王スティーブン)であった。アンジュー伯ジョフロアはウィリアム征服王の孫娘マティルドを妻とし、ノルマンディー侯位・イングランド王位に対する彼女の権利請求の戦いを支援した。1140年代の末に、ノルマンディーはジョフロアの統制を受け入れ、1154年、彼の息子アンリの代に、イングランド王位もアンジュー家のものとなった。ジョフロアのあだ名プランタジュネPlantagenêt(おそらく「エニシダを茂らせるもの」の意)をとって、プランタジネット朝アンジュー王家が誕生した。

 12世紀の後半は、フランス王家であるカペー家との確執に明け暮れた。アンリ(イングランド王ヘンリー2世)はアキテーヌ女侯アリエノールを妻としたので、アンジュー家の領土はピレネー山脈の北麓(ほくろく)からノルマンディーまで広大に展開した。この領土に対するカペー家の王権政策は、ルイ7世、フィリップ2世の2代にわたって執拗(しつよう)に続けられ、ついに1204年、アンジュー家は大陸領土をすべて失う。のち1259年のパリ条約によって、ギュイエンヌ(アキテーヌの訛音(かおん)、ボルドー周辺地域)はアンジュー家領に修復されたが、実質的にはアンジュー家は、以後イングランド王家としての個性を固める方向に向かうのである。

 なお、13世紀にはカペー家のルイ9世の弟シャルルが、14世紀にはバロア王家のジャン2世の息子ルイが、相次いで第二、第三のアンジュー家をたてている。

[堀越孝一]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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