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アントウェルペン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

アントウェルペン
Antwerpen
ベルギー北部,アントウェルペン州の州都。フランス語ではアンベール Anvers,英語ではアントワープ Antwerp。ベルギー第2の都市で,商業貿易の中心地。ヨーロッパ四大貿易港の一つ。スヘルデ川沿岸,北海から約 90km上流に位置。12世紀頃から商業が発達し,13世紀にブラバント公家,14世紀後半以後フランドル伯家,次いでブルゴーニュ公家,ハプスブルク家の統治を受けた。15世紀後半以降,貿易と近隣の毛織物業によってブリュッヘをしのぐ繁栄をみ,16世紀前半にはヨーロッパ第1の貿易都市となった。しかしオランダ独立戦争中スペイン軍の攻撃を受け,1585年パルマ公に占領されたうえ,オランダの独立に際して,スヘルデ川の航行が禁止された影響でその繁栄をアムステルダムに譲った。19世紀初頭ナポレオン1世によって港が改修され,1830年のベルギー独立後は繁栄を取り戻し,ブリュッセルに次ぐベルギーの商工業の中心として栄えている。世界の原石の約 70%を集めるダイヤモンド研磨業をはじめ,石油精製,化学,造船,食品,自動車組み立て,金属,石炭,肥料などの諸工業があり,ゴム,コーヒー,輸入木材,植物油の国際市場もみられる。鉄道でパリ,アムステルダム,ブリュッセルなどに直結する。ルーベンスの『キリストの降架』などで飾られたゴシック様式のアントウェルペン大聖堂 (14~16世紀,高さ 123mでベルギー最大) ,ルネサンス様式のアントウェルペン市庁舎 (1561~65) ,フランドル派やオランダ派の巨匠の名品を蔵するアントウェルペン王立美術館,世界遺産の文化遺産に登録されたプランタン・モレトゥス博物館などがある。人口 46万6203 (2007) 。

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デジタル大辞泉

アントウェルペン(Antwerpen)
ベルギー北部の港湾都市。ヨーロッパ有数の貿易港。ダイヤモンド研磨・造船などの工業が盛ん。フランス語名アンベルス。英語名アントワープ。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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世界大百科事典 第2版

あんとうぇるぺん【アントウェルペン】

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

アントウェルペン【Antwerpen】
アンベルスのオランダ語名。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

アントウェルペン
あんとうぇるぺん
Antwerpen
ベルギー北部、アントウェルペン州の州都、港湾都市。アントウェルペンはオランダ語名で、フランス語名はアンベルスAnvers、英語名はアントワープAntwerp。人口44万8709(2002)。ベルギー第二の都市である。北海より約90キロメートル上流のスケルデ川両岸に市街が発達し、旧市街の東岸と新市街の西岸とは河底トンネルで結合している。[川上多美子]

地誌

オランダのロッテルダムに次ぐヨーロッパ第二、ベルギー最大の貿易港で、232の定期航路がある。相手地域は35%がほかのヨーロッパ地域、ついで北・中央アメリカ、アフリカの順となる。積み出し貨物の約14%が石油製品、ついで鉄鋼であり、積み卸し貨物の約15%は石油製品、ついでその他の鉱物、原油である(1999)。鉄道、運河、高速道路によって、国内のみならずドイツのルール地方、アムステルダム、パリなどと連絡し、緊密な関係にある。伝統的工業として造船、植物油の加工、ダイヤモンド研磨工業がある。ダイヤモンド研磨工業は15世紀以来ユダヤ人を中心に発達してきたもので、世界的なダイヤモンド取引所がある。今日では、欧米の多国籍企業が港湾地域に多数進出し、自動車組立て工業、石油化学工業のほか、電気機械、ゴム、プラスチック、写真フィルム、合成繊維、既製服工業などが重要となった。1990年代に入ってアントウェルペン王立芸術アカデミー・ファッション学科出身の若手デザイナーたちが世界のファッション産業で注目される活躍をしている。たび重なる戦禍にもかかわらず、ルネサンス様式の市役所、王立美術館、プランタン・モレツス印刷博物館、ルーベンスの名作を蔵するノートル・ダム大聖堂など、歴史的記念物が豊かな都市である。画家ファン・ダイク、J・ヨルダーンス、P・ブリューゲルの生地。
 アントウェルペン州は、オランダに接するベルギー最北の州。面積約2859平方キロメートル、人口165万2450(2002)。スケルデ川流域のポルダー(干拓地)では園芸、南部では混合農業が行われる。北部から東部の砂丘地帯は森林や荒れ地となっているが、ガラス工場や、亜鉛、コバルト、銅などの精錬所がある。州都以外の小都市では、肥料、染料、爆薬、電気機械、自動車組立て、じゅうたん、洋品雑貨製造業がある。[川上多美子]

歴史

7世紀以来メロビング朝フランク王国の4分邦国の一つであるアウストラシアに属していたが、元来一漁村にすぎなかった。以後フランク王国、ロタリンギア王国に編入され、9世紀に築かれた城塞(じょうさい)がノルマン人によって破壊されたのち、10世紀に神聖ローマ帝国の支配下に入った。1008年に独立して侯領となる。とくに商業の発展で重要性を増し、1288年、ブラバン(ブラバント)公領に併合され、帝国の自由都市として自治権をもった。1315年にハンザ同盟に加盟、各国商人に特権や無税品目を認め、世界各地の物産が取引された。1357年にフランドル伯に占拠されても、その経済的地位は変わらず、1415年以降、年2回の定期市が開かれ、1460年には、史上初の国際株式取引市場を開設、名実ともに国際商業都市として繁栄した。しかし16世紀のネーデルラント争乱では、1576年のスペイン軍による略奪などで打撃を被り、独立したオランダのアムステルダムにその地位を奪われた。さらに三十年戦争の結果、1648年のウェストファリア条約によってスケルデ川の航行が断たれ、昔日のおもかげを失った。以後18世紀には、しばしばフランス軍による占領を経験し、ベルギーの独立にあたっても、市からの退去を拒むオランダ人に対してジェラール元帥指揮下のフランス軍が攻撃、1832年に一時占領された。しかし、新しいベルギーの主要港としての商業活動は変わらず、1863年にはオランダ人から入港税の徴収権を買い戻した。1914年の第一次世界大戦のときと同様に、1940年の第二次世界大戦にあたってもドイツ軍によって占拠された。
 日本郵船株式会社のヨーロッパ航路開設の第一船「土佐丸」が、最終目的地としてアントウェルペンに着いたのは、1896年(明治29)3月のことであった。1921年にロンドンが最終目的地になったが、回航地として日本とヨーロッパを結ぶ重要な港であり続けた。1930年の独立100周年記念の海洋植民万国博覧会には、日本郵船株式会社が参加した。[磯見辰典]

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精選版 日本国語大辞典

アントウェルペン
(Antwerpen) ベルギー北西部のスケルト川東岸にある都市。同国第一の貿易港で、一六世紀にはヨーロッパの貿易、金融の中心地であった。ベルギー公用語のうち、地元のフラマン語(オランダ語の方言の一つ)ではアントウェルペン、フランス名はアンベルス。英語名はアントワープ。

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