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イコン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

イコン
icon
。ギリシア語のエイコン eikōn (肖像,似像) に発し,聖像一般をもさすが,特に東方教会で発達した特殊な形式の聖像をいう。ローマ末期においては,公の場における皇帝のイコンの顕示と,これに対する跪拝,薫香による表敬が習慣であった。ビザンチン帝国ではこの帝国主義的聖像崇敬の伝統と,民衆の聖像に対する素朴な聖物崇拝の情熱が相まって,イコンの崇拝が急速に高まり,ロシア,その他の東方キリスト教圏内にも広まった。イコンは,聖堂内の聖障壁 (→イコノスタシス ) に掛けられる大型のものから,家庭内で個人的な祈念の対象となる小型のものまである。主題はイエス聖母子,聖人,各種説話などがある。技術的には初期の蜜ろう画 (→エンカウスティク ) ,のちのテンペラで木板に描いたものが一般的となったが,象牙板浮彫,モザイクなどもある。正教会,ロシア正教会などでは,今日でもイコンの制作と,それに対する表敬が続いている (→イコノクラスム , ロシア美術 ) 。

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デジタル大辞泉

イコン(〈ラテン〉icon/〈ドイツ〉Ikon)
聖画像。特にギリシャ正教で崇拝されるキリストマリア聖者の像や聖伝の場面を描いたもの。板絵が多い。アイコン

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デジタル大辞泉プラス

イコン
英国の作家フレデリック・フォーサイスのスリラー小説(1996)。原題Icon》。

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世界大百科事典 第2版

イコン【icon】
東方正教会において,信仰のかなめとなるキリスト,聖母,聖人などの聖画像。信徒の信仰生活に重要な意味をもち,聖堂内のみならず信徒の私宅にも安置され,崇敬される。いわゆる板絵形式のものが最も多く,次のような過程で制作される。まず木板の四周を残して中を浅く彫りくぼませ,そこに麻布を貼り,上にを用いて雪花石膏(アラバスター)の粉を塗布し,この上にテンペラ絵具で聖像を描く。大きさは携帯用の小型のものから,聖堂内のイコノスタシス(図)に掛け並べる大型のものまでさまざまである。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

イコン
いこん
Ikon ドイツ語

聖画像。英語はicon、ロシア語はиконаで、ともに「形象」を意味するギリシア語のeikōnに由来する。東方教会の文化圏で発達したもので、ビザンティン美術に属し、主としてキリスト、聖母、聖者たちの像を描いた礼拝用の画像である。その素材はテンペラ技法による板絵が主流であるが、モザイクなどでも制作されたことがある。

 起源については、いわゆる「人の手によらざるイコン」とよばれる聖骸(がい)布像がある。これは、ゴルゴタの丘を登るキリストが布で顔をぬぐったところ、その布の上に彼の顔が生き写しになったという伝説から生まれたもので、キリストの顔を布の上に描いた簡潔な図柄である。もっとも、初期キリスト教ではイコン崇拝は行われず、2世紀以降から始まって4世紀ごろに盛んになったといわれている。その後8世紀から9世紀にかけてビザンティンの神父たちの間ではイコン破壊の闘い(イコノクラスムiconoclasm)が起こっている。このため、初期イコンの発展状況についてはいまなお十分な解明が行われていない。しかし、秘境にあったために難を免れたイコンもあり、6世紀ごろの制作と考えられるものも現存する。

 843年にふたたびイコン崇拝が公認され、イコンは新しい発展段階に入っていく。すなわち、ギリシア正教が布教されている土地、小アジア、ギリシア、ブルガリア、セルビア、ルーマニア、ロシアの各地へ広く伝播(でんぱ)した。また、9世紀以降西欧へのビザンティン美術の流出も多く、イコンの美的世界は13世紀のイタリア美術にも色濃く影響を与えている。たとえば、ジョットの聖母子像などにも、イコンの直接的影響を読み取ることができる。

 しかし、なんといってもイコンがいちばん花開いた土地はロシアであった。ロシアは10世紀にギリシア正教を国教として受け入れ、上からの権力で布教に努めたが、その際イコンのもつ宗教的な力を十二分に活用したからである。

[木村 浩]

ロシア・イコン

ロシアにおけるイコン崇拝が急速に広がった背景には、それ以前の異教信仰とも微妙な関係があるように思われる。すなわち、かなり長期にわたって一般民衆の間に異教との「二重信仰」が続いたために、異教の要素を摂取したイコンを制作することによって、異教からの改宗を容易にしたからである。

 ロシアにおけるイコンの普及は、教会における大型イコンとイコノスタス(会堂の内部にイコンを何段にも並べて、内陣と一般信者の座る場所とを壁状に仕切ったもの)のほか、信者の家庭(ということは全ロシアの各家庭を意味する)にそれぞれのイコンが二つや三つは存在していたことを考えれば、たいへんな数であったといえるだろう。それらイコンはロシア人の信仰生活と密接に結び付いており、ロシア人の精神形成に微妙かつ深刻な影響を与えた。

 こうしてロシアではイコン制作がノブゴロド派(12~14世紀)、モスクワ派(15世紀以降)などによって精力的に行われたが、このほかウラジーミル派、プスコフ派などの仕事にもみるべきものが少なくない。もちろん、イコンは宗教美術の枠を出るものではなく、あくまで信仰の対象であるが、ロシア人がギリシア正教を国教として選んだ背景には、その美的儀式への感動があったといわれており、ロシア正教会でのイコンの美的世界は、それなりに大きな比重をもっているといえよう。

 ロシア・イコンの歴史では、14世紀中ごろにコンスタンティノープル(イスタンブール)からノブゴロドへ渡来し、多くの弟子を育てたフェオファン・グレッグ(ギリシア人テオファネス)、その弟子でロシア・イコン画家の頂点にたつアンドレイ・ルブリョフ、その作風を受け継ぎ、色彩のうえで新しい仕事を残したディオニーシーの3人を特記しなければならない。もともとイコンの制作は工房単位で行われることが多く、作者名が明らかなイコンは少ないが、上記3人のイコンは例外的にその傑出した美的世界を今日に伝えている。

 今日、イコンはその宗教的性格を離れて、純粋に美術品として評価されることが多くなっている。しかし、ロシアにおいてもイコンをそのような目で評価しだしたのは20世紀になってからである。フランスの画家マチスはかつてロシア・イコンについて「これこそ真の民衆芸術であり、芸術探究の源泉である」と喝破したが、今後ともイコンの美的世界はますます再評価されていくであろう。

[木村 浩]

『浜田靖子著『イコンの世界』(1978・美術出版社)』

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精選版 日本国語大辞典

イコン
〘名〙 (icon Ikon) ギリシア正教のキリスト、マリア、聖人などの聖画像。→イコノグラフィー

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旺文社世界史事典 三訂版

イコン
ikon
東方正教会で発達した聖画像
テンペラによる板絵が多い。8世紀の聖像破壊運動後,正教会の信仰の中心的な存在となった。そのいっぽうでビザンツ文化を代表する芸術として発達し,現在でも聖堂内や信者の家などに飾られている。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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