●イサベル・ファルネセ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イサベル・ファルネセ
Isabel Farnese
[生]1692.10.25. パルマ
[没]1766.7.11. アランフェス
スペイン王フェリペ5世の妃。イタリア名エリザベッタ・ファルネーゼ。イタリアのパルマ公女としてファルネーゼ家に生れた。 1714年フェリペ5世の後妻となる。以後フェリペの没するまでの 32年間,彼を完全に支配してスペインの政治を掌握した。フェリペは最初の結婚で2人の息子をもうけていたので,イサベルの実子である4人の息子と3人の娘のスペイン王位相続の見込みはないように思われていた。そこで彼女の政治の中心は,イタリアのファルネーゼ家の領土を安定させることに集中し,それはヨーロッパの外交に 30年以上にわたって影響を与えた。結局,イサベルの意図は成功し,長男カルロス (のちスペイン王カルロス3世となる) はパルマ (1732) ,ピアチェンツァ (32) ,ナポリ (34) の支配を認められ,次男フェリペはパルマ公として承認された (48) 。
[没]1766.7.11. アランフェス
スペイン王フェリペ5世の妃。イタリア名エリザベッタ・ファルネーゼ。イタリアのパルマ公女としてファルネーゼ家に生れた。 1714年フェリペ5世の後妻となる。以後フェリペの没するまでの 32年間,彼を完全に支配してスペインの政治を掌握した。フェリペは最初の結婚で2人の息子をもうけていたので,イサベルの実子である4人の息子と3人の娘のスペイン王位相続の見込みはないように思われていた。そこで彼女の政治の中心は,イタリアのファルネーゼ家の領土を安定させることに集中し,それはヨーロッパの外交に 30年以上にわたって影響を与えた。結局,イサベルの意図は成功し,長男カルロス (のちスペイン王カルロス3世となる) はパルマ (1732) ,ピアチェンツァ (32) ,ナポリ (34) の支配を認められ,次男フェリペはパルマ公として承認された (48) 。
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