●イーグルス
デジタル大辞泉
イーグルス(Eagles)
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉プラス
イーグルス
出典:小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
知恵蔵mini
イーグルス
(2016-1-20)
出典:朝日新聞出版
(C)Asahi Shimbun Publications Inc
本事典の解説の内容はそれぞれの執筆時点のものです。常に最新の内容であることを保証するものではありません。
日本大百科全書(ニッポニカ)
イーグルス
いーぐるす
Eagles
1970年代のアメリカのウェスト・コースト・ロックを代表するグループ。ドン・ヘンリーDon Henley(1947― 、ボーカル、ドラム)、グレン・フライGlenn Frey(1948―2016、ボーカル、ギター)、バーニー・リードンBernie Leadon(1947― 、ボーカル、ギター、バンジョー)、ランディー・マイズナーRandy Meisner(1946― 、ベース)によって1971年に結成された。1960年代後半のバーズやバッファロー・スプリングスフィールド、グラム・パーソンズGram Parsons(1946―1973)、ポコ等のロサンゼルスのカントリー・ロックの流れをくむサウンドに、さわやかなハーモニーとポップさを加味したのが初期の作品の特徴だった。また、軽快なサウンドとは裏腹に、1960年代のカウンター・カルチャーが崩れてゆく、けっして楽観的ではいられなかった時代の精神を捉えていたことも、イーグルスが時代を象徴するグループになったことの大きな要因である。1972年、フライとジャクソン・ブラウンJackson Browne(1948― )が共作した「テイク・イット・イージー」が大ヒットし、グループは一気に軌道に乗った。
『ならず者』(1973)は西部開拓時代が舞台のコンセプト・アルバムで、フォーク・ソングやブルーグラス(ギターのほか、ウッド・ベース、フラット・マンドリン、バンジョー、フィドルなどのアンサンブルにハイ・トーンのボーカルがのる音楽)といったアメリカ音楽のルーツへの志向が前面に出ており、アメリカのアコースティック・ロックの重要なアルバムの1枚に挙げられる。次作『オン・ザ・ボーダー』(1974)から、ギタリスト、ドン・フェルダーDon Felder(1947― )が参加。従来のサウンドを引き継ぎつつ、よりポップで、かつハードなロック・サウンドも志向するようになる。同アルバムからはヒット・チャート1位になった「我が愛の至上」も生まれた。『呪われた夜』(1975)は前作の方向性がより明確になり、フォーク・ソング、ブルー・グラス志向が強かったリードンはこのアルバムを最後にバンドを脱退している。『呪われた夜』からはタイトル曲、「いつわりの瞳」「テイク・イット・トゥー・ザ・リミット」の3曲が全米チャート・トップ5入りするヒットになり、グラミー賞を4部門で受賞した。
リードンの穴を埋めることになったのは、アメリカ人でありながら、ブリティッシュ・ハード・ロック志向の強いジョー・ウォルシュJoe Walsh(1947― 、ボーカル、ギター)だった。ウォルシュの個性は、ウェスト・コーストのアコースティック・ロックの代表格イーグルスとは相いれないようにも思われたが、異なった個性が見事に融合し、『ホテル・カリフォルニア』(1976)に結実することになる。ロック時代の終焉とデカダンスがつづられた同アルバムは大ヒットし、イーグルスは音楽的にも商業的にもピークを迎えた。バンドは1980年の『イーグルス・ライヴ』を最後に解散するが1994年に再結成し、アルバム『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』を発表しツアーも行った。
[中山義雄]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「イーグルス」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●イーグルスの関連情報
関連キーワード
| 黒人問題| 人種別職業構成の割合| 鉄鋼業| 佐藤栄作内閣| アラバール| 多国籍企業| 野村芳太郎| フー| アモン・デュール| アルトマン(Robert Altman)|