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ウィクリフ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ウィクリフ
Wycliffe(Wyclif), John
[生]1330頃.ヨークシャー?
[没]1384.12.31. ラターワース
イギリスの哲学者,神学者で,宗教改革の先駆者。 1376年頃教会の批判と改革に着手。真の主権に基づかない教会の形式的権威を否定し,聖書のみを唯一の実践の基盤とし,旧約聖書を初めて英訳。清貧説教団を組織して改革思想の普及につとめた。死後コンスタンツの公会議で異端者と宣告され,著書とともに遺骨が焚かれたが,その思想は,ロラード派によって受継がれ,ボヘミア宗教改革フスにも影響を与えた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ウィクリフ(John Wycliffe)
[1320ころ~1384]英国神学者宗教改革先駆者の一人。ローマ‐カトリック教会を批判し、聖書信仰基礎をおくことを唱えて聖書の英訳を企てた。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

ウィクリフ【John Wycliffe(Wyclif)】
1330?‐84
イギリスの神学者,宗教改革の先駆者。オックスフォード大学の神学者であったが,1374年エドワード3世のローマ教皇との外交交渉で次席代表を務め,初めて政界に出る。これに先立ち《命題集》(1373)を著し教皇庁と教会に対するイングランド王権の財政上の自主権,教会に対する世俗権力の監督権を強調した。76年権力者のをうけ,ロンドン市内で反政府的高位聖職者を俗事に汲々たる者として批判し,教会当局の忌諱にふれる。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ウィクリフ
うぃくりふ
John Wycliffe (Wyclif)
(1320ころ―1384)

イギリス宗教改革の先駆者。オックスフォード大学に学び、同校で哲学、神学を講じた。反教皇政策をとる国王やジョン・オブ・ゴーントは、王権の優位を認めるウィクリフの利用価値を認めて保護し、1374年ブリュージュへ国王使節として教皇側との交渉に派遣。帰国後、ロンドンを中心に使徒的清貧を説き、民衆説教者としても名声を博した。教会の財産保有など現教会体制への批判を強めたため、1377年その言動がとがめられ、教皇グレゴリウス11世Gregorius Ⅺ(在位1370~1378)より、19か条に及ぶ「誤謬(ごびゅう)」の指弾を受けた。1378年教会分裂を機に教皇をアンチ・クリストと断定するまでに至る。弟子を「貧しき司祭」と称して各地に送り、民衆に福音(ふくいん)を伝え、聖書の英訳も手がけ、『教会論』De ecclesia(1379)、彼の学説の総決算『トリアログス』Trialogus(1383)を含む膨大な著作をまとめた。『聖餐(せいさん)論』De eucharistia(1381)で化体説を批判するに及び、異端的性格を明確にした。1382年、ブラックフライヤーズ教会会議Synod of Blackfriarsで、彼の主張の10か条が異端と断定される一方、前年の農民一揆(いっき)の理論的指導者ジョン・ボールとの関係が疑われ、政府高官からの保護も失い、同年ラタワースに隠棲(いんせい)。2年後の12月31日同所で死去。1415年コンスタンツ公会議での決定に基づき、1428年春彼の遺骸(いがい)は、焼かれるべく、墓より取り出され、その灰は近くのスウィフト川にまかれた。彼の教説は、イギリスではロラーズに受け継がれ、大陸ではプラハ大学のヨハン・フスの宗教思想の根幹に取り入れられるなど、それぞれの宗教改革の源流ともなっている。ウィクリフの写本が東欧で多数みいだせるのもそのためである。

[鈴木利章 2018年1月19日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ウィクリフ
(John Wycliffe ジョン━) 中世末期イギリスの宗教改革者。オックスフォード大学神学教授。カトリック教会を批判し、聖書主義を唱えて、聖書の英語訳を企てた。異端として弾劾されたが、下層民の支持を受け、ボヘミアのフス派の運動にも影響を与えた。(一三二〇頃‐八四

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旺文社世界史事典 三訂版

ウィクリフ
John Wycliffe(Wiclif)
1320ごろ〜84
イギリスの神学者,先駆的宗教改革者
教会大分裂(大シスマ)を機にカトリック教義とローマ教皇の権威を批判し,教会財産の没収を主張して初期には国王庇護 (ひご) も受けた。聖書中心主義を唱え,ヴルガタ『聖書』を英訳し,自派(ロラード派)の民衆の間に送ってその教化につとめた。ワットタイラーの乱(1381)との関係を問われてオクスフォード大学神学教授を辞し,1382年にはその教説は異端との判定を受けたが,処罰は免れた。その教説はさらにフスの教会批判を生み,死後の1428年,コンスタンツ公会議での異端宣告にもとづいて,遺骸は掘り出されて焼かれ,川にまかれた。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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