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ウィグマン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ウィグマン
Wigman, Mary
[生]1886.11.13. ハノーバー
[没]1973.9.18. ベルリン
ドイツの舞踊家。 J.ダルクローズ,R.ラバンに学ぶ。 1914年処女作『魔女の踊り』を踊って注目され,ノイエ・タンツ (新舞踊) の旗手として活躍した。 20年ドレスデンにウィグマン舞踊学校を設立。 G.パルッカ,Y.ゲオルギ,H.クロイツベルクらの舞踊家を育て,最盛期には各地の分校を合せて 2000人の生徒を集めた。 36年のベルリン・オリンピックでは群舞を演出するが,ナチス台頭により活動中断を余儀なくされた。第2次世界大戦後はライプチヒ,のちにベルリンで活躍。代表的な振付作品には『幻想』『東洋風モチーフによるダンス』『死の舞踏』『女の踊り』『犠牲』『死の嘆き』『春の祭典』などがある。仮面を使用したり,群舞を生かしたりする表現主義的な色彩が強く,無音楽あるいは打楽器のみの伴奏で踊られる作品が多い。日本のモダン・ダンスにも強い影響を与えた。著書に『舞踊の言葉』 Die Sprache des Tanzes (1963) などがある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

ウィグマン【Mary Wigman】
1886‐1973
ドイツの女性舞踊家,振付師。モダン・ダンス草分けの一人。ダルクローズとラバンについて舞踊を学んだ。後にラバンのアシスタントとなり,その理論を実践に移し,舞踊の創作と上演を行った。人間の内部にあふれる動的なリズムを基に,肉体によって表現されるものが舞踊でなければならないと彼女は考えた。そしてソロや群舞の新しいスタイルを確立し,また無音楽の舞踊,打楽器のリズムのみによる舞踊などを試みた。さらに舞踊によるコンサートという公演形式を創始し,ドイツ,イギリス,アメリカなどでしばしば公演を行った。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ウィグマン
うぃぐまん
Mary Wigman
(1886―1973)
ドイツの女流舞踊家。ハノーバーに生まれる。ダルクローズ、ラバンに学んだのち、1914年にデビュー、リサイタルを催し「ドイツ・モデルネ・タンツ」の歴史の出発点をつくった。作風は当時のドイツの芸術主潮、表現主義に深く影響され、死や苦悩といった主題を扱った作品が多い。のちに表現主義絵画がナチスによって退廃芸術と烙印(らくいん)を押されたように、彼女も37年にドレスデンの学校を接収され、さらに舞踊活動の機会を奪われたが、戦後復帰した。なお、ウィグマン学校はニューヨークにも分校をもち、アメリカ・モダン・ダンスの発展に貢献した。わが国の舞踊家、江口隆哉(たかや)、宮操子(みさこ)、邦正美(くにまさみ)、執行(しぎょう)正俊もウィグマンの学校の出身である。[市川 雅]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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