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エウゲニウス

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

エウゲニウス
Eugenius, Flavius
[生]?
[没]394
ローマ帝国の帝位僭称者 (392~394) 。ローマで修辞学を教え,392年フランク族の将軍アルボガストにより帝位に推戴された。異教復興をはかったが,394年東方のテオドシウス1世によってアルボガストとともにフリギドゥス河岸の戦いれ,殺された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

エウゲニウス(Eugenius)
ローマ教皇の名。
(3世)[?~1153]在位1145~1153。第二次十字軍を起こした。
(4世)[1383~1447]在位1431~1447。バーゼル宗教会議と抗争してローマを追われ、退位。のち復帰。

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世界大百科事典 第2版

エウゲニウス【Flavius Eugenius】
?‐394
ローマ帝国の簒奪帝。在位392‐394年。修辞学の教師でシンマクスの友人。ウァレンティニアヌス2世の死後,フランク人将軍アルボガストにより帝位に擁立される。自身は一応キリスト教徒であったが,テオドシウス1世の承認を得ることに失敗すると,ニコマクス・フラウィアヌスを中心とするイタリアの異教勢力と同盟したため,彼とテオドシウスの戦いは宗教戦争の様相を帯びた。394年9月イタリア北東部のフリギドゥス河畔でテオドシウス軍と会戦し,アルボガストと共に敗死した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

エウゲニウス【Eugenius】
(三世)?~1153 ローマ教皇(在位1145~1153)。イタリアのピサの人。ローマ市会と対立しローマを追われる。フランスに滞在中、第二次十字軍を計画。
(四世)1383~1447 ローマ教皇(在位1431~1447)。イタリア人。バーゼル公会議で教皇の権威を主張したため、一時対立教皇を立てられたが、のち復権。

出典:三省堂
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