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エディルネ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

エディルネ
Edirne
トルコヨーロッパ部分にある都市。旧称アドリアノープル。ローマ時代はハドリアノポリスと呼ばれた。エディルネ県の県都。ギリシアブルガリアとの国境に近く,トゥンジャ川マリツァ川の合流点に位置し,小アジアとバルカンとの交通の要衝を占める。古くはトラキア人が住んでいたと考えられ,125年頃ローマ皇帝ハドリアヌス市域再建拡張した。アバール人ブルガール人占領に続き,2度にわたって十字軍略奪を受けたが,1362年にオスマン帝国領となった。1413~58年オスマン帝国の首都。ヨーロッパ進出の前線基地となり,行政,通商,文化の中心として栄えた。ロシア,ブルガリア,トルコ,ギリシアと支配者が次々と代わったのち,1922年最終的にトルコ領に復帰した。綿・毛織物,皮革製品を産し,白チーズの特産がある。市の中心部にはいくつかのモスクがあり,セリミエ・モスクは 2011年世界遺産の文化遺産に登録された。ロンドン=イスタンブール鉄道に沿い,中央ヨーロッパやイスタンブールとハイウェーで結ばれる。人口 11万9298(2000)。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

エディルネ(Edirne)
トルコ北西部の都市。ギリシャ・ブルガリアとの国境近く、メリチ川とその支流トゥンジャ川の合流点に位置する。古代ローマ時代、皇帝ハドリアヌスが建設してハドリアノポリスと命名し、のちにアドリアノープルとよばれた。14世紀にオスマン帝国ムラト1世に征服されて首都になり、コンスタンチノープル(現イスタンブール)陥落後は帝国第二の都市としてバルカン半島征服の拠点になった。旧市街には16世紀末に宮廷建築家ミマール=スィナンの設計で建造されたセリミエモスクをはじめ、ユチュシェレフェリモスクエスキモスクなどのイスラム寺院が残っている。

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世界大百科事典 第2版

エディルネ【Edirne】
トルコ共和国のヨーロッパ領北西端,ギリシア国境近くに位置し,同名県の県都。人口11万6000(1994),都市域人口23万3000(1994)。アジアとヨーロッパを結ぶ交通上の要路に位置し,現在はイスタンブール市場向けの農作物(小麦,野菜)の集荷地としての経済的機能を果たしている。この町の歴史は,古くトラキア時代にさかのぼるが,125年ころ,ローマ皇帝ハドリアヌスの再建によりハドリアノポリス(アドリアノープルAdrianople)として知られた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

エディルネ
えでぃるね
Edirne

トルコ西部、ヨーロッパ側の西端にあってギリシアとの国境に接する都市。エディルネ県の県都。人口11万9298(2000)。メリチ川とその支流トゥンジャ川の合流点に位置する。トルコの西の玄関口であり、鉄道・道路交通の要衝である。じゅうたん、皮革などの工業もみられる。オスマン・トルコ帝国の旧都であり、オスマン・トルコの建築家ミマル・シナンの設計によるセリミエ・モスクやウチュ・シェレフェリ・モスクなどの名建築が残されている。

[末尾至行]

歴史

古代にトラキア人が建設し、ウスカダマUskadamaとよばれていた。125年ごろローマのハドリアヌス帝が再建し、ハドリアノポリスHadrianopolisと改名したことから、のちにアドリアノープルAdrianopleと称されるようになった。交通、戦略上の要衝にあり、ローマ帝政後期には州都として発展。378年、同市近郊で西ゴート人がローマのウァレンス帝を敗死させた「アドリアノープルの戦い」は、ゲルマン民族移動の開始を告げる事件であった。ビザンティン帝国におけるトラキア地方の要都として発展を続けたが、1361年、東方から進出したオスマン・トルコに征服され、エディルネと改称、1365年以後その首都となった。同王朝のコンスタンティノープル(イスタンブール)征服後はトルコ第二の都市として、バルカン支配の拠点となった。19世紀のロシア・トルコ戦争では二度(1829、1878)ロシアに占領され、1829年に同市で結ばれた和約(アドリアノープルの和)ではギリシアの独立が承認された。1913年ブルガリア領となるが、23年ローザンヌ条約によりトルコに返還された。

[後藤篤子・永田雄三]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社世界史事典 三訂版

エディルネ

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