●エラム
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
エラム
Elam
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世界大百科事典 第2版
エラム【Elam】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
エラム
えらむ
Elam
ティグリス川以東からザーグロス山脈一帯、現在のイラン南西部のフーゼスターン地方をさす古名。「エラム」は古代バビロニア語で東方を意味する。スーサを中心とするパルスマシュを核に、東のアンシャン、北のシマシュがその中心。
歴史は旧石器時代から始まるが、新石器時代にはオリエント最古の文化の一つであるスーサ第1層が繁栄した。これは日干しれんがを用いた住居を有し、ヒツジや大麦なども利用し、さらに美しい彩文土器を使用した文化である。第2層ではメソポタミア文化の影響が認められ、シュメール文字に似た原エラム文字も使用されていた。すでに城壁を巡らした都市文明であり、その遺跡からはザーグロス山脈の金、銀、銅、鉛や瑠璃(るり)、ラピスラズリなどの遺物が多く出土し、メソポタミアとの関係が密接であったことを証明している。しかし、両者の関係は平和的ではなく、メソポタミアに強力な王朝ができればその支配下に入り、弱体化すると逆にエラムが侵入するという繰り返しであった。スーサで出土した、エラム鎮圧の記念物である、アッカドのナラム・シンの戦勝碑やハムラビ法典などは、両者の敵対関係と、エラムの略奪を証明するものといえる。
紀元前9世紀にはペルシア人の侵入が始まり、前630年にはアッシリア人にスーサが破壊された。アケメネス朝ペルシア時代にもスーサは帝国の重要な三大都市の一つで、エラム語は公用語として用いられた。ダリウス大王のベヒスタン(ビストゥン)碑文には、ペルシア語、アラム語とともに、エラム語でも記録されている。エラム人の人種的帰属は現在なお不明である。
[糸賀昌昭]
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旺文社世界史事典 三訂版
エラム
Elam
新石器時代からスサを中心に彩陶 (さいとう) 文化をうみ,シュメールとともに栄えた。エラム人はヤペテ人系ともいわれ,シュメール・バビロニアを支配したこともある。前9世紀にペルシア人の影響を受けたが,エラム語はペルシア帝国の公用語の地位を占めた。
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