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オストワルト【おすとわると】

日本大百科全書(ニッポニカ)

オストワルト(Friedrich Wilhelm Ostwald)
おすとわると
Friedrich Wilhelm Ostwald
(1853―1932)
ドイツの物理化学者。ファント・ホッフアレニウスと並ぶ物理化学の創立者の一人。またエネルギー一元論の強力な推進者としても著名である。9月2日、当時のロシア、ラトビアのリガに生まれる。生地で中等教育を終え、ドルパット(現、エストニアのタルトゥ)の大学で学位を得たのち、1881年リガ工業大学の教授となったが、このころより頭角を現し始め、「一般物理化学」の大著を書き、またファント・ホッフと協力して1887年2月『物理化学雑誌』Zeitschrift fr Physikalische Chemieを創刊した。この雑誌はその後世界の物理化学を組織する役割を果たすことになる。こうしてオストワルトは、当時有機化学の黄金時代にあったドイツ化学界にあって、別の新分野「物理化学」を樹立したのである。そして1887年秋、当時のドイツでは唯一の物理化学の講座を創設すべくライプツィヒ大学の教授となり、その後約20年間にわたり、いわゆるライプツィヒ学派の総帥として活動し、全世界の大学に物理化学の教授を供給した。1906年同大学を退任、1909年にはその「触媒作用に関する業績、および化学平衡と反応速度に関する諸原則の研究」によりノーベル化学賞を受けた。まさに古典物理化学の全分野を行くものであった。
 彼は科学の啓蒙(けいもう)と普及にも強い熱意を示し、ライプツィヒ着任直後の1889年から、いわゆる『オストワルト古典叢書(そうしょ)Ostwalds Klassikerの刊行を始めた。これは自然科学の全古典をドイツ語に移す大事業で、その手始めは1847年にヘルムホルツがエネルギー保存則を提唱した論文である。これはオストワルトの死後も続けられ、二百数十巻に上っている。彼自身の著書は、「一般化学」(物理化学)に関する古典的名著のほか多数あり、啓蒙書としては、たとえば『化学の学校』Schule der Chemie(1903)が有名である。ライプツィヒ大学退任前から、専門の著述と『物理化学雑誌』の編集のほかに、科学史、科学哲学、さらには色彩論にまで至る思弁的生活への傾向を強めた。とくに有名なものは、マッハらとも同調したエネルギー一元論で、原子、分子のような「仮説」を排除して、全自然現象をエネルギー概念で統一しようとした。彼は晩年住んだ家を自ら「エネルギーの家」と名づけたほどである。この思想には消極面もあるが、ヘルムホルツのエネルギー保存則を不動の位置に据えた積極面が大きい。晩年には原子、分子の存在を容認するに至った。短い病気ののち1932年4月4日死去した。[中川鶴太郎]
『都築洋次郎訳『化学の学校』(岩波文庫)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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