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オットー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

オットー
Otto, John Conrad
[生]1774.3.15. ニュージャージー,ウッドバリー
[没]1844.6.26. フィラデルフィア
アメリカの医師。初めて血友病を記載し,特別の家系の男子だけが患者となり,女子は発病しないが,その男児にはこの病気が遺伝すると述べた (1803) 。また,血友病の出血を止めるために硫酸ナトリウムを内用することを提唱したほか,てんかんの研究も行なった。

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オットー
Otto, Nikolaus August
[生]1832.6.10. ホルツハウゼン
[没]1891.1.26. ケルン
ドイツの発明家。4サイクル機関を開発,蒸気機関に代る動力機関実用化への道を開いた。 1861年彼の最初のガソリン機関を開発,67年パリ万国博覧会で金賞を獲得。 76年から内燃機関に4行程サイクル方式を導入,安定的でしかも効率の高いガソリンエンジンを実用化するのに成功した。しかし4サイクル機関の特許は 62年にすでにフランスで出願されていたため,特許紛議が起った。

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オットー
Otto, Rudolf
[生]1869.9.25. パイネ
[没]1937.3.6. マールブルク
ドイツの神学者,哲学者,宗教史家。エルランゲン,ゲッティンゲン両大学で学んだのち,ゲッティンゲン (1897~1914) ,ブレスラウ (14~17) ,マールブルク (17~29) の各大学で教える。かたわらプロシア議会議員 (13~18) ,憲法制定議会議員をつとめた。宗教の心理と歴史をおもに扱い,宗教の本質を合理的哲学から区別した。主著"Die Anschauung vom heiligen Geiste bei Luther" (1898) ,"Naturalistische und religiöse Weltansicht" (1904) ,『聖なるもの』 Das Heilige (17) ,"West-Östliche Mystik" (26) ,"Die Gnadenreligion Indies und das Christentum" (30) ,"Reich Gottes und Menschensohn" (34) 。

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オットー
Otto von Bamberg
[生]1062頃
[没]1139
ドイツ,バンベルクの司教。聖人。叙任権論争では教皇に同情しつつも中立の立場を取り,1121年ウュルツブルクの会議では平和の回復に努力し,22年ウォルムスの政教協約によってこれを達成した。ポメラニア布教に努めた。ポメラニアの使徒といわれる。祝日は7月2日。

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オットー
Otto von Freising
[生]?
[没]1158.9.22. モリモン
ドイツのスコラ哲学者,神学者,歴史家。生年は 1111~14年。オーストリア辺境伯レオポルト3世の子で,神聖ローマ皇帝コンラート3世の異母兄,フリードリヒ1世 (赤髯王)の叔父にあたり,政治にも影響を与えた。 1127/8年パリに遊学,32/3年に戻ってモリモンのシトー会修道院に入り,38年その院長になると同時にフライジング司教となった。叙任権闘争 (→叙任権論争 ) によるキリスト教界の危機意識に立ち,アウグスチヌスの『神の国』を模範としながら書いた『二つの国の年代記 (二国論) 』 Chronica sive historia de duobus civitatibusは,中世ヨーロッパにおけるキリスト教的歴史叙述の傑作とされており,時の,地上の,悪魔の国と,永遠の,天上の,キリストの国の盛衰を世界史を通して描いている。地上の国を現実の帝国と同一視した彼は,力と知が東方から西方へ伝播した歴史的過程を衰退とみながら,コンスタンチヌス1世 (大帝) の改宗以来の帝国を,2つの国が1つになった教会の歴史とし,神聖ローマ帝国に地上の神の国をみている。フリードリヒ1世に捧げられたこの年代記は 46年までであるが,のちオットー・フォン・ザンクト=ブラジエンにより 1209年まで書継がれた。ほかにホーエンシュタウフェン家,なかんずくフリードリヒ1世の歴史を扱った"Gesta Friderici I"がある。

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オットー
Otto, Frei
[生]1925.5.31. ジークマール
[没]2015.3.9. シュツットガルト
ドイツの建築家。1952年ベルリン工科大学卒業。1964年シュツットガルト大学教授。構造体にプレキシガラスパネル,ポリエステルシートなどの膜,ケーブル,そして木を用いる張力構造によって広大な内部空間と変化に富む外観を可能にした。静的建築物に動的なものを導入し,従来,仮設的に用いられていた「テント構造」を恒久的建築物に採用,いわゆる「膜構造」技術を完成したとされる。代表作に,ミュンヘン・オリンピック競技大会のメインスタジアム(1972),マンハイムの多目的ホール(1975),ミュンヘン動物園の鳥の家(1976)などがある。2000年,ドイツで行なわれたハノーバー国際博覧会の日本館を坂茂とともに手がけた。2006年高松宮殿下記念世界文化賞,2015年プリツカー賞受賞。

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デジタル大辞泉

オットー(Nikolaus August Otto)
[1832~1891]ドイツの技術者。4行程サイクルを完成し、実用的な内燃機関を初めて製作

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オットー(Otto)
(1世)[912~973]神聖ローマ帝国初代皇帝。在位962~973。936年、ザクセン朝第2代のドイツの国王となり、他民族の侵入を防ぐとともに、教会勢力と提携することで諸侯をおさえ王権を確立。イタリア遠征後、教皇から帝冠を受けた。オットー大帝。

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デジタル大辞泉プラス

オットー
2002年アメリカ、ソルトレイクで開催された冬季パラリンピック第8回大会の公式マスコット。カワウソがモチーフ。

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世界大百科事典 第2版

オットー【Otto von Freising】
1111か14‐58
ドイツの貴族バーベンベルク家出身の聖職者,歴史記述者。国王コンラート3世の異父弟,フリードリヒ1世の伯父。1138年いらいフライジング司教となり,シュタウフェン王家の国政に深くかかわる。43年から46年の間に大作《年代記》を書く。《二つの国の歴史》ともよばれ,アウグスティヌスの影響が顕著なこの歴史叙述は,混迷の現世的事象と神の国との対比を通じて展開される一つの普遍的救済史である。彼が晩年に書いたもう一つの歴史作品《フリードリヒ1世伝》はシュタウフェン家の前史とこの王の事とを56年まで記述したもの。

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オットー【Nikolaus August Otto】
1832‐91
ドイツの技術者。初めケルンで商業を営むが,1862年ころから蒸気機関に代わる小工場用の原動機としてガス機関の製作を志す。64年E.ランゲンとともにN.A.オットー商会を創設,66年にはフリーピストン機関の改良,製作に成功した。この機関は大気圧機関で,J.ルノアールのガス機関よりガス消費量が約1/3と少なく,67年パリ万国博覧会では金賞を受賞した。72年G.ダイムラーとW.マイバハを迎えドイツ・ガス原動機製作会社を設立,この機関の改良を続けたが,好成績を得るにいたらず,結局放棄する。

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オットー【Rudolf Otto】
1869‐1937
ドイツのプロテスタント神学者,宗教学者。ゲッティンゲン大学などを経て,マールブルク大学の組織神学教授。宗教の本質真理を学問的に把握することを課題とし,人間の内的直感予感を方法としてその解明に向かっていった。ルター,カント,シュライエルマハー,フリースJ.F.Fries,デ・ウェッテW.M.L.De Wetteの影響を受け,主著《聖なるもの》(1917)などで宗教を他の事物から説明せず,それ独自の事態として理解し,そこに〈聖なるもの〉〈ヌミノーゼNuminose的なもの〉の存在を認めた。

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オットー【Teo Otto】
1904‐68
ドイツの舞台装置家。レムシャイトに生まれ,1924年カッセルで舞台装置家としてデビューしたのちベルリンに移り,28年国立劇場舞台装置主任となる。33年亡命,以後チューリヒ劇場を中心にして,グリュントゲンス,リントベルク,シュトルクスなどの演出に協力,またブレヒトフリッシュなどの舞台を作る。その傾向は,イリュージョン舞台を否定した立体的演劇空間の創造にある。【岩村 行雄】

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大辞林 第三版

オットー【Otto】
(一世)912~973 ザクセン王朝二代目のドイツ王(在位936~973)。父ハインリヒ一世の国家統一のあとを継いで、王権を拡充した。ことにイタリア経営に意を用い、ローマ教皇より初代神聖ローマ皇帝(在位962~973)として戴冠。オットー大帝。
Nikolaus August O. 1832~1891 ドイツの技術者。1876年、四サイクルのガス機関(オットーサイクル機関)を完成、蒸気機関に対抗する内燃機関の地歩を築く。
Rudolf O. 1869~1937 ドイツの神学者・宗教学者。聖なるものの分析により、宗教の本質として倫理や哲学を超えた深い非合理的な感情を認め、それをヌミノーゼと称した。著「聖なるもの」

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

オットー
(Nikolaus August Otto ニコラウス=アウグスト━) ドイツの技術者。一八六六年、自由ピストン機関の製作に成功。七六年、オットーサイクル機関の名で知られる四サイクルガス機関を完成。(一八三二‐九一

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