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オヒギンス

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

オヒギンス
O'Higgins, Ambrosio
[生]1720頃.アイルランド
[没]1801.3.18. リマ
スペインの商人,政治家,軍人。 1756年アメリカ大陸に渡り,ブエノスアイレスサンチアゴで商人として活躍。のち軍隊に入って,アウルカノ族との戦闘に軍功を立て少将昇進 (1782) 。コンセプシオン知事 (86~88) ,チリ総督 (88~96) を経てペルー副王 (96~1800) となった。

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オヒギンス
O'Higgins, Bernardo
[生]1778.8.20. チヤン
[没]1842.10.24. リマ
チリの軍人,政治家。建国の父と呼ばれる。父親は A.オヒギンスリマで教育を受けたのち,イギリスに留学。 F.ミランダ親交を結び,彼の独立革命の思想に共鳴。 1802年帰国して,独立運動を開始。 10年独立革命を起したが失敗,アルゼンチンの J.サン=マルティン将軍の支援を得て,17年スペイン軍を打倒,チリの総督 (1817~23) となる。 18年2月1日独立を宣言。教会権限の削減,長子相続制の廃止など自由主義的な改革を目指したが,保守派の反対にあい挫折。リマで余生をおくった。

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世界大百科事典 第2版

オヒギンス【Bernardo O’Higgins】
1778‐1842
チリ独立の英雄,軍人,政治家。チリ中部チジャン市の名門の生れ。ペルー,イギリスで学び,ベネズエラのミランダの影響を受けた。1810年国民評議会が結成されてスペインからの独立運動が起こると,これを支持して南部兵した。傑出した軍人として数々の勝利をおさめたが,同じく独立の英雄カレラJosé Miguel Carreraとの間に確執が生じ,このため14年スペイン軍に敗れ,独立軍はアルゼンチンに亡命した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

オヒギンス
おひぎんす
Bernardo O'Higgins Riquelme
(1778―1842)
チリの独立運動指導者。チリに移民した富裕なアイルランドの商人(のちペルー副王)を父にもち、チリ独立を要求する軍人たちの指導者として頭角を現した。1812年の独立評議会結成後、スペイン軍の反撃にあい、アルゼンチンに逃亡した。17年1月サン・マルティンの支援を受けてチリに進撃、18年2月独立を宣言、最高長官(在任1817~23)となったが、独立運動指導者間の内部争いのためしだいに独裁化し、23年クーデターでペルーに追われ、同地でした。[後藤政子]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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