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オラニエ・ナッサウ家【おらにえなっさうけ】

日本大百科全書(ニッポニカ)

オラニエ・ナッサウ家
おらにえなっさうけ
het huis van Oranje-Nassau オランダ語

オランダの王家。南フランスのプロバンスにあるオランジュ(オランダ語でオラニエ、英語でオレンジ)公爵領は、16世紀初頭、結婚によりネーデルラントの名門貴族ナッサウ伯家の領土になった。ナッサウ伯家はドイツの貴族で、その起源は12世紀初頭にさかのぼるが、14、15世紀の間にネーデルラントに多くの所領を増やし、ブルゴーニュ家、ハプスブルク家の重臣として仕えた。16世紀後半、ネーデルラントの住民はスペイン国王フェリペ2世の統治に対して反乱を起こし、ネーデルラント連邦(オランダ)共和国として独立するに至ったが、1572年オラニエ公ウィレム1世(1533―84)は反乱諸州に推されて総督となり、反乱を指導して建国の父となった。ウィレム1世が暗殺されると、息子マウリッツ、続いてフレデリック・ヘンドリックが総督職を継ぎ、共和国の最高軍事指揮者として対スペイン戦に功績を表した。1672年総督に就任したウィレム3世は、イギリスの名誉革命によって妻メアリーとともにイギリスに迎えられ、イギリス王ウィリアム3世(在位1689~1702)となり、ホラント州などの総督も兼ねた。

 ウィリアム3世が嗣子(しし)なくて没すると、分家のナッサウ家がオラニエ家を継いだ。同家のウィレム4世は、1747年に共和国7州すべての州総督を兼ね、同時に総督職はオラニエ・ナッサウ家の世襲となった。1795年共和国はフランス革命軍の侵入により崩壊し、総督ウィレム5世はイギリスに亡命した。1815年のウィーン会議によりネーデルラント(オランダ)王国が成立し、オラニエ・ナッサウ家のウィレム6世は新国王ウィレム1世となり、ルクセンブルク大公を兼ねた。ウィレム1世ののち、同2世、3世を経て、ウィルヘルミナ、ユリアナ、現女王ベアトリックスと女王の統治が3代続いたが、1967年ベアトリックス女王に男児が誕生、1世紀ぶりに皇太子オラニエ公が出現した。

[栗原福也]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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