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オルレアン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

オルレアン
Orléans
古代名アウレリアヌム Aurelianum。フランス中部,パリ盆地南部,ロアレ県の県都。パリ南南西 116km,ロアール川右岸に発達した都市。旧オルレアン公国の首都。旧オルレアネ州の州都。前 52年,ユリウス・カエサルガリア遠征軍に対して反抗したツェナブムの町として,また5世紀にはアッチラ軍を撃退した町として古くから有名。洗礼を受けたフランク王クロービス1世はガリアでのキリスト教布教のための最初の宗教会議をここで開き (511) ,シャルル2世 (禿頭王。在位 843~877) はここで西フランク王としての聖別式を行なった。百年戦争中も王家の拠点となり,ジャンヌ・ダルクによるイギリス軍からの解放 (1429) はフランス国家形成史上重要な出来事であった。 16世紀の宗教戦争中は新旧キリスト教徒双方が市の争奪を繰返し,17世紀には市はロアール川を遡航する帆船の河港として,パリをしのぐ商業活動を行い,19世紀まで繁栄した。しかし港湾機能は,その後ロアール河口の堆積により徐々に衰えた。現在は道路・鉄道網の結節点で農産物集散地,酢,ビスケットなど食品加工業の中心地で,ほかに機械・電機織物・化学・印刷工業なども行われる。 14世紀初期に大学が創設され,古くから文化の中心でもあったところで,ジャンヌダルクの騎馬像のある町の中央広場や周囲のアーケードのある町並みは 18世紀のもので,第2次世界大戦後に復元された。ルネサンス様式の市庁舎 (1549~55) ,ゴシック様式のサントクロア大聖堂 (13世紀,16世紀焼失後再建) なども修復され,史跡の多い町として観光も盛ん。人口 11万3257(2008)。

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デジタル大辞泉

オルレアン(Orléans)
フランス中部、ロアール川に臨む古都百年戦争末期の1429年、少女ジャンヌ=ダルクによってイギリス軍の包囲から解放されたことで知られる。

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世界大百科事典 第2版

オルレアン【Orléans】
フランス中部,ロアレ県の県都。人口10万8000(1990)。ロアール川に臨み,パリの南方約115kmに位置する鉄道・道路交通の要衝。大学や裁判所があり,地方の行政学術・教育や商業の中心地で,近くには5万haに及ぶオルレアンの森がある。古くから後背地の農産物の集散地,ロアール川水運の積替地として栄え,17,18世紀には商工業が発達した。19世紀中葉以降,鉄道時代にはいると水運の衰退ともない,経済的に停滞したが,第2次大戦後になってパリ地域からの工業分散などにより,在来の食品工業(酢醸造など)に加えて,タイヤ薬品,機械などの諸工業が同市やその周辺に発展し,第3次産業の発展とあいまって,都市圏の人口増加が著しい

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日本大百科全書(ニッポニカ)

オルレアン
おるれあん
Orléans

フランス中部、ロアレ県の県都。人口11万3126(1999)。パリの南115キロメートルの位置にあり、ロアール川に臨む。古い市街地には、狭い街路や美しい木造の家々が残る。新しい市街地では城壁の跡に大通りを建設し、第二次世界大戦中に大被害を受けたが復興し、整然と続く家並みがみられる。市内の建物のなかで、威容を誇るのはゴシック式建築のサント・クロア寺院(17~18世紀再建)であり、そのファサード(正面)はフランボワイヤン様式で、骨組が燃え動く炎のごとくである。そのほか16世紀に建てられた市庁舎も戦災から免れた。ロアール川の水運によって、後背地の商品の積替え港として栄え、古くから地方工業が盛んであったが、鉄道の発達によって都市の発展が促された。現在では、食品、機械工業が中心である。百年戦争時のイギリス軍包囲を、1429年5月、ジャンヌ・ダルクが劇的に解放したことから、毎年5月7、8日に盛大なジャンヌ・ダルク祭が催される。

[高橋伸夫]

歴史

オルレアンという地名は3世紀後半のローマ皇帝アウレリアヌスAurelianusに由来する。4世紀から司教区。451年フン人のアッティラの攻撃を受けたが、司教の聖エニャンの尽力によって町は救われた。6世紀から7世紀初頭にかけてフランク小王国の首府となり、855年、865年にはノルマン人の侵攻を受けた。オルレアン伯領としてはカロリング朝時代に形成され、10世紀にはカペー家の領有下に入り、当家の権力拡充のための基礎となった。13世紀になると、フランスにおけるローマ法研究の拠点として名声を博し、オルレアン学派が形成された。1309年大学が創設され、フランス革命期まで存続した。

 百年戦争の時代、1428年10月からイギリス軍の攻囲によって孤立したが、翌年5月ジャンヌ・ダルクによって解放された。1560年にはこの町で全国三部会がシャルル9世の摂政(せっしょう)カトリーヌ・ド・メディシスの主宰によって開かれ、裁判改革の王令として有名なオルレアン王令を公布する役割を果たした。宗教戦争(ユグノー戦争)が勃発(ぼっぱつ)すると、各地からユグノー(カルバン派の新教徒)が集結したので、旧教派のギーズ公フランソアの攻囲を受けたが、この戦いでギーズ公は新教徒の貴族ポルトロ・ド・メレの手にかかって死亡した(1563)。17世紀中葉のフロンドの乱のときには、ルイ13世の姪(めい)にあたるモンパンシエ公夫人(グランド・マドモアゼル)の率いるフロンド派の軍勢に攻囲された。プロイセン・フランス戦争(普仏戦争)の間、オルレアンはパリ解放を目ざすロアール第1軍の拠点であったが、プロイセンのタン将軍によって一時占領された。第二次世界大戦が起こると、ドイツ軍はふたたびオルレアンに進駐した。

[志垣嘉夫]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

オルレアン
(Orléans) フランス中部、ロアール川の右岸にある市。一四世紀以来オルレアン家の所領で、フランス・イギリス間の百年戦争(一三三七‐一四五三)で、一四二九年、ジャンヌ=ダルクがイギリス軍を撃退した所として知られる。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

オルレアン
Orléans
フランス中部,ロアール川中流域北岸にある都市
古くはカエサルのガリア支配に対する反抗の中心地。のち,フン族アッティラに包囲されたが撃退。10世紀カペー朝の所領となった。14世紀以後はオルレアン家領で,百年戦争ではイギリスとブルゴーニュ派連合軍の包囲に耐え,1429年ジャンヌ=ダルクにより解放されて,フランスは勝勢に転じた。のちにユグノーの反抗の拠点となる。普仏 (ふふつ) 戦争・第二次世界大戦でドイツ軍の占領を受けた。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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