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オーストリア学派【オーストリアがくは】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

オーストリア学派
オーストリアがくは
Austrian school
ローザンヌ学派ケンブリッジ学派と並ぶ限界革命以後の近代経済学系の三大学派の一つ。カール・メンガーを始祖とし,ウィーン大学を中心に形成されたところからウィーン学派とも呼ぶ。メンガーはドイツに伝統的な主観価値論の精密化をはかり,独自の論理的方法で限界効用価値論(「限界効用」という用語はメンガーのものではない)を定式化し,また『国民経済学原理』公刊後はグスタフ・フォン・シュモラーとの有名な方法論争に精力を傾注した。メンガーの理論はオイゲン・ベーム=バウェルク,フリードリヒ・F.ウィーザーによって継承,発展させられ,1880年代半ばには学派を形成するにいたった。ベーム=バウェルクは資本や利子の理論面(→資本と利子)でのちに大きな影響を及ぼす業績を上げ,ウィーザーはメンガーによって先鞭をつけられた生産財の価値をも消費財の価値から説明しようとする限界効用一元論的立場を帰属理論として定式化した。限界革命以後,経済現象の解明において限界効用価値論を最も重要視し,限界効用一元論的立場を貫こうとしたのはこの学派で,従来ときとして使われる限界効用学派という用語も狭義にはオーストリア学派をさす。このあとベーム=バウェルクの門下からジョーゼフ・アロイス・シュンペーター,ルートウィヒ・エドラー・フォン・ミーゼスらが育ち,またミーゼスの門下からはゴットフリート・フォン・ハーバラー,フリッツ・マハループらが輩出。彼らはこの学派の第3世代の俊秀(第3世代のみをウィーン学派と呼ぶこともある)として,特に第1次世界大戦後に華々しく活動した。ほかの学派と区別できる特徴は第2世代までほどはなくなったが,依然主観価値論を重要視し,一般均衡理論が浸透しながらも因果的分析を重要視すること,ベーム=バウェルク,クヌート・ウィクセルの影響を受けて独特の貨幣的景気理論が展開されたことなどが特徴。また,総じて経済的自由主義の立場をとる。ナチスの政権掌握とともに第三世代の多くは国外(おもにアメリカ合衆国)に亡命したが,その後ミーゼスの弟子であったイスラエル・カーズナーらネオオーストリアンあるいはモダンオーストリアンと呼ばれる次世代のグループが活躍している。

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デジタル大辞泉

オーストリア‐がくは【オーストリア学派】
1870年代に、限界効用理論を唱えた経済学者メンガーをはじめ、その理論体系を拡充・展開させたウィーン大学のウィーザーやベーム=バベルクらをいう。また、第一次大戦後、諸経済理論に業績をあげたミーゼス・ハイエクらの後継者はウィーン学派、また新オーストリア学派などといわれる。

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世界大百科事典 第2版

オーストリアがくは【オーストリア学派】
経済学における限界革命において,L.ワルラス,W.ジェボンズとともにその三大巨星であったウィーン大学のC.メンガー,およびその流れをくむ経済学者たちの学派。ウィーン学派とも呼ぶ。限界革命の中心的概念は限界効用であるが,ワルラスにとってはそれが一般均衡理論の一つの道具にすぎなかったのに対して,オーストリア学派にとっては限界効用の意義ははるかに大きい(限界効用理論)。古典派経済学の労働価値説,生産費説が価格を費用により説明するのに対して,オーストリア学派の効用価値説は効用により消費財の価格を説明する。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

オーストリア学派
おーすとりあがくは
Österreichische Schule ドイツ語
Austrian school 英語

近代経済学は、1870年代のオーストリアのカール・メンガー、イギリスのW・S・ジェボンズ、スイスのレオン・ワルラスの3人の業績に始まるとされている。彼らの業績は、当時しだいに無力化してゆく古典学派にかわる新しい理論の形成であり、それぞれ学派とよばれるまでに発展した。オーストリア学派はその一つで、ウィーン大学の教授C・メンガーに始まり、同じく同大学の教授であったF・ウィーザーやベーム・バベルクらによって拡充、展開された学派であり、限界効用理論に基づく理論体系を完成したので、限界効用学派ともよばれている。なおこの学派はさらに、その独自の資本理論を提起し、また、この学派に続くウィーン学派も貨幣的分析を展開するなど、その後の経済学の発展に大きく寄与した。

 メンガーはその著『国民経済学原理』Grundsätze der Volkswirtschaftslehre(1871)において、古典学派の労働価値説を退け、主観的な限界効用原理、生産財の価値をそれがつくりだす消費財の価値から説明する帰属理論などによる首尾一貫した主観価値説の理論体系を確立する一方、経済学方法論としては歴史、理論、政策を峻別(しゅんべつ)する立場をとり、この点では当時のドイツ経済学界の主流であったシュモラーたちの後期歴史学派と激しい論争を交えた。ウィーザーは帰属理論を整え、ウィーザーの法則を示したが、それは後年の機会費用原理の発端をなすものであった。帰属理論により生産物の価値と生産財の価値が等しくなるとすれば、資本利子はどこから生まれるかが問題となる。この点についてベーム・バベルクはその著『資本の積極理論』Positive Theorie des Kapitales(1889)において、迂回(うかい)生産の利益から資本利子が生まれることを明らかにし、生産過程を資本とみる独自の資本理論を提唱した。彼の資本理論の影響は多大であり、北欧学派のウィクセル、ウィーン学派のミーゼスやハイエクの理論を生んだばかりでなく、最近ではJ・R・ヒックスがその著『資本と時間』Capital and Time, A Neo-Austrian Theory(1973)において、現代成長理論の新局面を開くためにベーム・バベルクに立ち戻っているほどである。

 なお、オーストリア学派の流れをくむH・マイヤー、ミーゼス、ハイエク、ハーバラー、シュトリグル、モルゲンシュテルンなどの一群の人々はウィーン学派または新オーストリア学派とよばれ、貨幣的分析に優れており、資本理論や景気変動理論の分野で華々しい業績をあげ、諸外国にも影響を与えた。しかし第二次世界大戦までに、H・マイヤーなど若干の学者を残して大多数の学者がアメリカその他の諸国に去り、ウィーン学派は拡散してしまった。

[佐藤豊三郎]

『一谷藤一郎著『オーストリア学派経済学の新展開』(『経済学説全集10 近代経済学の展開』所収・1956・河出書房)』『J・シュムペーター著、東畑精一訳『経済分析の歴史 第5冊』(1958・岩波書店)』『C・メンガー著、安井琢磨訳『国民経済学原理』(1937・日本評論社)』『林治一著『オーストリア学派研究序説』(1966・有斐閣)』

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精選版 日本国語大辞典

オーストリア‐がくは【オーストリア学派】
〘名〙 一九世紀後半にカール=メンガーを始祖として誕生し、ウィーザー、ボェーム、ハベルクらにより継承・発展された経済学の一学派。歴史主義的な細目研究と理論軽視に偏した歴史学派に対抗して発揚し、限界効用理論を創始した。→ウィーン学派

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