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カイラワーン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

カイラワーン
Al-Qayrawān
チュニジア中部,カイラワーン県の県都。首都チュニスの南方約 120kmにあり,イスラム教の聖地として有名。 670年,ウマイヤ朝のイフリーキヤ (現チュニジア以西) 総督ウクバ・イブン・ナーフィーがビザンチン帝国の要塞跡に軍事都市を建設。アラブによる北アフリカ征服が組織的に遂行され,以後北アフリカの総督府の所在地として,また対外発展の基地としての役割を果した。 800年頃からアグラブ朝の都となり,フランク王国のカルル大帝の使節を迎えたこともある。ファーティマ朝の時代 (916) にはここが放棄され,マフディーアを首都としたが,次のサンハージャ朝の時代にはまた都となり,1057年のヒラル族の侵入によって破棄されるまで栄えた。その後も信仰の中心地としての地位を保ち,町は高さ 35mのミナレットをもつシディオクバの大モスク (→カイラワーンのモスク ) や,「3つの扉のモスク」「砂のモスク」を中心に発達している。9世紀の 140mの直径をもつ大貯水池も有名。現在は穀物や家畜の市場で,伝統的な絨毯や手工芸品製作の中心地でもある。 1988年世界遺産の文化遺産に登録。人口9万 2690 (1989推計) 。

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世界大百科事典 第2版

カイラワーン【Qayrawān】
チュニジア中部,同名県の県都。人口10万3000(1994)。アラブの軍人ウクバ・ブン・ナーフィーが670年に築いた軍営都市(ミスル)が起源で,マグリブ最古のイスラム都市。ベルベル人の指導者クサイラによる占領(7世紀末)やイスラムの異端派ハワーリジュ派による占領(8世紀中ごろ)など,政治的に不安定な状態が続いた。9世紀にアグラブ朝の都になるとともに繁栄し始め,マグリブにおける政治,経済,宗教学問の中心地になった。

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デジタル大辞泉

カイラワーン(Kayrawan)

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