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カウツキー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

カウツキー
Kautsky, Karl Johann
[生]1854.10.16. プラハ
[没]1938.10.17. アムステルダム
ドイツの社会主義者。ドイツ社会民主党の代表的理論家,第2インターナショナルの理論的指導者。 1874年ウィーン大学に入学,オーストリア社会民主党入党。 79年頃ベルンシュタインと知合い,さらにマルクスエンゲルスとも知合う。 83年ドイツ社会民主党の理論誌『新時代』を発刊,91年にはエルフルト綱領起草ドイツ社会民主党の理論的指導者の地位を確立し,ベルンシュタインらとの「修正主義論争」では「正統派マルクス主義の代表的論客として活躍。第1次世界大戦勃発時はドイツの参戦を是認するも,のちに戦争反対に転じ 1917年独立社会民主党創立に参加する。また同年ロシア革命に際してはレーニンらを批判した。 22年に社会民主党に復帰する。マルクスの『資本論』『剰余価値学説史』の編集者として,またマルクス主義の古典監修刊行に尽力したことでも知られる。

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デジタル大辞泉

カウツキー(Karl Johann Kautsky)
[1854~1938]ドイツの社会主義者。社会民主党の「エルフルト綱領」を起草。マルクス主義理論を受け継いで修正主義者を批判したが、第一次大戦参戦支持などで徐々に中間派に移行し、ロシア革命に際してはこれを批判。ナチス政権後、亡命「農業問題」「エルフルト綱領解説」など。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

カウツキー【Karl Kautsky】
1854‐1938
マルクス主義理論家,文筆家。プラハに生まれ,ウィーン大学に学ぶ。1875年,オーストリア社会民主党に入党。83年,ドイツ社会民主党系の理論誌《ノイエ・ツァイトDie Neue Zeit》を創刊,1917年まで編集に当たった。1890年ドイツに移り,エルフルト綱領の作成に関与,その《解説》(1892),《農業問題》(1899)を執筆,同党および第二インターナショナルの指導的存在となる。修正主義論争ではマルクス主義〈正統派〉の立場からベルンシュタインを批判,1910年には《権力への道》を書いたが,そのころ大衆ストライキをめぐってローザ・ルクセンブルクら左派とを分かって〈中央派〉を形成した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

カウツキー
かうつきー
Karl Johann Kautsky
(1854―1938)

第二インターナショナル時代を代表するドイツ社会民主主義の理論的指導者。10月16日プラハに生まれる。ウィーン大学で歴史を学び、在学中にオーストリア社会民主党に入党。初めはダーウィン主義の影響が強かったが、1879年ごろベルンシュタインと知り合い、その影響を受けて熱心なマルクス主義者となり、1881年にはロンドンにマルクス、エンゲルスを訪ねた。1883年、のちにドイツ社会民主党の理論機関誌となる『ノイエ・ツァイト』Neue Zeitを創刊、その編集にあたり、1885年には弾圧を避けてロンドンに移り、エンゲルスの愛顧を受けつつ同誌の編集を続けた。社会主義者鎮圧法廃止後の1891年のドイツ社会民主党エルフルト大会では「エルフルト綱領」の起草者となり、理論的指導者としての地位を確立した。1890年代なかば以降党内に台頭したベルンシュタインなどの修正主義に対して、彼は『農業問題』(1899)、『ベルンシュタインと社会民主主義の綱領』(1899)などの著作で反論し、正統派を代表する理論家としての権威を高めた。しかし1910年代に入ると、彼の理論的権威はローザ・ルクセンブルクなどの左派からの挑戦を受けるようになる。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)時には祖国防衛主義に傾いて政府を支持したが、やがて反戦に立場を変えたため、党の国会議員団から除名され、1917年には社会民主党を離れてH・ハーゼなどとともに独立社会民主党を創立した。彼の筆はレーニンの指導するロシア革命に対してもう一度燃え上がり、ボリシェビズムを反マルクス主義として激しく非難したが、そのためかつては彼を理論的権威として遇していたレーニンから「背教者」として痛烈に論難されるに至った。独立社会民主党も左右に分裂し、彼は1922年に社会民主党に復帰したが、もはや往年の声望はなかった。晩年はウィーンで著作を続けたが、1938年ナチスに追われてプラハへ、ついでアムステルダムに亡命、同年10月17日同地で客死した。

 著作は、『資本論解説』(1887)、『近代社会主義の先駆者たち』(1895)、『倫理と唯物史観』(1906)、『キリスト教の起源』(1908)、『権力への道』(1909)というように、きわめて多方面にわたっている。その博学多才と旺盛(おうせい)な文筆活動でマルクス主義思想の普及に果たした役割は大きい。またエンゲルスの死後、マルクスの遺稿の整理・編集の仕事を引き継ぎ、『経済学批判序説』『剰余価値学説史』『資本論・民衆版』を編集・刊行した功績も逸することはできない。

[山崎春成]

『玉野井芳郎著『カール・カウツキー』(『経済学説全集8 マルクス経済学の発展』所収・1956・河出書房)』『G・スティーンソン著、時永淑・河野裕康訳『カール・カウツキー』(1990・法政大学出版局・叢書ウニベルシタス)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

カウツキー
(Karl Kautsky カール━) ドイツのマルクス主義理論家。一八八三年「ノイエ‐ツァイト」紙を創刊し、「エルフルト綱領」を起草。ロシア革命に際してレーニンらのボルシェビズムを批判する立場に立った。著「キリスト教の起源」「農業問題」「社会革命」「唯物史観」など。(一八五四‐一九三八

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

カウツキー
Karl Johann Kautsky
1854〜1938
ドイツ社会民主党の中心的指導者
1875年ドイツ社会主義労働者党(1890年にドイツ社会民主党と改称)に入党して活躍し,「エルフルト綱領」を起草,党の指導的理論家となった。第2インターナショナル時代には正統派マルクス主義者としてベルンシュタインらの修正主義派と対立した。第一次世界大戦勃発に際して,独立社会民主党を結成した。ロシア革命後レーニンから批判され,ナチスの進出によってアムステルダムに逃れ,その地でした。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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