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カブラル

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

カブラル
Cabral, Amilcar
[生]1924.9.12. バファタ
[没]1973.1.20. コナクリ
ギニアビサオの解放運動指導者。サンビセンテの高校を経てリスボンのアグロノミア高等学院に学んだ。アンゴラ出身の A.ネト,J.P.アンドラーデらとともに,1948年リスボンにアフリカ研究センターを設立。 50~54年農業技師としてギニアビサオのポルトガル政庁に,次いでアンゴラに渡り砂糖農園に勤務。 56年9月ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党 PAIGCを組織し,解放運動に着手。同年 12月再びアンゴラに渡り,旧友ネトとともにアンゴラ解放人民運動 MPLA創設。 59年8月のピジギティ虐殺事件を契機に武装闘争の準備にかかり,62年 12月より本格的な武装闘争開始。 65年3月にはギニアビサオの約 40%を,68年2月には約3分の2を,72年前半には約4分の3を解放,さらに党の指導のもとで解放区内の社会的,経済的再編と発展に尽力。こうした成果をもとにギニアビサオは 73年9月に独立宣言を行なったが,それに先立つ同年1月隣国ギニアでポルトガル側の人間に暗殺された。マルクス主義によって理論武装した戦闘的知識人で,『ギニアの革命』 Revolution in Guinea (1970) ほか多数の著書がある。

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カブラル
Cabral, Francisco
[生]1528. コビリャン
[没]1609.4.16. ゴア
ポルトガル人のイエズス会士ゴアで同会に入り,元亀1 (1570) 年第2代日本布教長として来日。日本の風習になじまず,日本人信者らを差別し,日本人司祭の養成に反対した。戦国大名貿易などで懐柔し,布教に利用しようとして,巡察師バリニャーノと布教方針について対立,80年布教長を辞任マカオに転出した。

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カブラル
Cabral, Luís de Almeida
[生]1931.4.11. ポルトガル領ギニアビサオ
[没]2009.5.30. ポルトガル,リスボン
ギニアビサオの解放運動指導者,政治家。異母兄のアミルカル・カブラルとともに 1956年ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党 PAIGC創設に参画し,1970年まで同党政治局員兼中央委員会委員を務めた。この間の 1961年にギニアビサオ労働全国同盟書記長に就任。1970~72年解放区再建問題の責任者,1972年党副書記長。1973年1月兄アミルカルが暗殺され,同年 9月ギニアビサオが独立を宣言するとともに国家元首の国家評議会議長に就任した。1974年宗主国ポルトガルが正式に独立を承認した。1977年再選されたが,1980年軍部のクーデターにより元首の座を追われた。

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カブラル
Cabral, Pedro Álvares
[生]1467? ベルモンテ
[没]1520? サンタレン?
ポルトガルの航海者。バスコ・ダ・ガマのインド航路発見後,カリカット国王と外交関係を結ぶために,マヌエル1世 (幸運王)の命を受けて 1500年3月8日リスボンを出港したが,大西洋航路を南西にとった結果,同年4月 22日ブラジルに到達,これをポルトガル領とした。そのまま航海を続け,カリカットではイスラム商人の妨害にあったが,コーチンで香料の買付けに成功し,リスボンに多大の富をもたらした。しかし,その後,国王の不興を買い,宮廷を去って不遇のうちに死去した。

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デジタル大辞泉

カブラル(Francisco Cabral)
[1528~1609]ポルトガルの宣教師。1570年、日本布教区長として来日、織田信長足利義昭らにも会い、布教の基礎を固めた。のちインドに行き、ゴアで

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カブラル(Pedro Álvares Cabral)
[1467?~1520?]ポルトガルの航海者。1500年、インド遠征の途中、風に流されてブラジルに上陸。その地をポルトガル領とした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

カブラル Cabral, Francisco
1533-1609 ポルトガルの宣教師。
元亀(げんき)元年(1570)来日し,イエズス会の日本布教長となる。大村純忠(すみただ)の妻子,大友宗麟(そうりん)らに洗礼をさずけ,織田信長にあうなど精力的に布教活動を展開したが,巡察師バリニャーノと布教方針をめぐって対立,天正(てんしょう)10年に離日した。のちインド管区長。1609年4月16日死去。76歳。サン-ミゲル島出身。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

カブラル【Amilcar Cabral】
1924‐73
アフリカのポルトガル領ギニア(現,ギニア・ビサウ)とカボベルデにおける民族解放運動組織PAIGC(ギニア・カボベルデ独立アフリカ人党)の指導者。1956年9月,PAIGCを創設し,63年1月,彼の指導の下で武装闘争を開始した。73年9月,ギニア・ビサウは独立を宣言したが,カブラルはこの日を見ることなく,73年1月20日に暗殺された。彼は民族解放運動の実践家であり,かつ理論家であった。《著作集》《選集》があり,〈第三世界〉を代表する思想家として,彼の著作は今日でも高く評価されている。

出典:株式会社平凡社
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カブラル【Francisco Cabral】
1533‐1609
ポルトガル人のイエズス会士。サン・ミゲル島の出身。1554年ゴアでイエズス会に入会し,58年司祭に叙階された。1570年(元亀1)第3代日本布教長として来日し,81年(天正9)まで在任した。1570年7月下(しも)在住のイエズス会士を招集し,志岐会議を開催した。71‐72,74年の2度にわたり上京し各地の教会を訪問し,織田信長に謁見した。在任中,76年有馬義直,78年大友宗麟ら九州の有力大名が改宗し,教勢は急速に展したが,79年来日した巡察師バリニャーノと布教方針をめぐって対立し,日本から転出させられた。

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カブラル【Pedro Álvares Cabral】
1467ころ‐1520
ポルトガルの航海者。有数な貴族の家に生まれた。1499年バスコ・ダ・ガマの帰国後ただちに編成された第2回のインド向け船隊の司令官に任命され,1500年にインドに向かった。途中大西洋を大きく迂回して,現在のブラジルを発見し,同地をポルトガルが領有するきっかけを作った。しかしインドではカリカット王と友好関係を結んで商館を建設するという任務に失敗した。その後ふたたびインドに赴くことはなかった。トルデシーリャス条約【生田 滋】

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大辞林 第三版

カブラル【Pedro Alvares Cabral】
1467頃~1520頃 ポルトガルの航海者。1500年インドへの往路、針路を大きく南西にとりブラジルを発見、探検した。これによりブラジルはポルトガル領になった。

出典:三省堂
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367日誕生日大事典

カブラル
生年月日:1924年9月12日
ギニア・ビサウ共和国の解放闘争の指導者
1973年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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旺文社世界史事典 三訂版

カブラル
Pedro Alvarez Cabral
1460ごろ〜1526
ポルトガルの航海者
王命で1500年インド遠征艦隊を率いてインドに向かう途中,嵐でブラジルに漂着し,トルデシリャス条約によってここをポルトガル領とした。さらに喜望峰をへてインドのカリカットに到着し,ここをインド経営の本拠として1501年帰国した。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
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