●カリフ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
カリフ
caliph
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朝日新聞掲載「キーワード」
カリフ
(2014-07-01 朝日新聞 朝刊 1外報)
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デジタル大辞泉
カリフ(calif/caliph)
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デジタル大辞泉プラス
カリフ
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世界大百科事典 第2版
カリフ【caliph】

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日本大百科全書(ニッポニカ)
カリフ
かりふ
caliph
イスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)没後の、イスラム社会の最高指導者をいう、イスラム政治学での用語。アラビア語ではハリーファkhalīfa(継承者、代理人)といい、カリフはその英語なまりである。実際の最高指導者は「信徒の長(アミール・ル・ムーミニーン)」と称することが多く、カリフという称号が用いられた例はかならずしも多くない。
最初の4代のカリフは、神に正しく導かれたカリフという意味で正統カリフとよばれ、その時代は正統カリフ時代(632~661)とよばれる。ついでウマイヤ家がカリフ位を独占するウマイヤ朝(661~750)、さらにアッバース家がカリフ位を独占するアッバース朝(750~1258)と続いた。10世紀から11世紀にかけての時期は、アッバース家のカリフに対抗して、ファーティマ朝の君主と後(こう)ウマイヤ朝の君主もカリフを称し、イスラム世界に3人のカリフが並存する時代であった。その両王朝が滅亡したのちは、各地で実質的に独立していたイスラム王朝は、アッバース家のカリフとしての権威を認めたが、アッバース朝滅亡後はその実質的な意味を失った。19世紀末から第一次世界大戦の時代に、オスマン・トルコ皇帝がカリフと称して全イスラム勢力の結集を試みたが失敗した。
[後藤 明]
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精選版 日本国語大辞典
カリフ
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旺文社世界史事典 三訂版
カリフ
caliph
ムハンマド(マホメット)の代理者・後継者の意で,アラビア語のハリーファ(khalīfa)に由来。正統カリフ時代は選挙で選ばれたが,ウマイヤ朝からは世襲制となり,アッバース朝の成立後,エジプトのファーティマ朝,スペインの後 (こう) ウマイヤ朝もカリフを称した。1517年オスマン帝国のスルタンがエジプトを征服し,アッバース系のカリフの譲位を受けて,スルタン−カリフ制が成立したとされるが,最近の研究では18世紀後半,衰退していくオスマン帝国で強調されたものとされている。カリフ制はトルコ共和国の政教分離政策で1924年に廃止された。
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