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カンツォーネ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

カンツォーネ
canzone
イタリア語の歌。一般にイタリアのポピュラーソングをさす。フランスのシャンソンにあたるものであるが,イタリアの気候風土を反映して,メロディーは明るく単純で,内容も率直に表現された恋の歌が多い。曲の構成は2,4,8小節と倍ごとに進行し,ほとんどが2部形式,3部形式をとる。 1940年代以降の曲にはこの前にストロファ strofaという語りの部分のついたものが多い。古くはナポリ民謡が有名だが,カンツォーネが現在のように全世界に知られるにいたったのは,1951年にサンレモ音楽祭,53年にナポリ歌謡祭が始ったことによるところが大きい。

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デジタル大辞泉

カンツォーネ(〈イタリア〉canzone)
イタリアの大衆的歌曲。親しみやすい明快なメロディーが特徴。

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監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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世界大百科事典 第2版

カンツォーネ【canzone】

文学
 イタリア語抒情詩の詩型の一つ。最古の用例は13世紀のシチリア派の作品に見られ,清新体派の詩作を経てペトラルカに至ってその古典的形式が確立した。ダンテは《俗語論》第2巻の中で,カンツォーネこそ愛を含む崇高な主題を扱うのに最も適した詩型であると述べ,その規則を論じている。カンツォーネは長さ,構造を同じくするいくつか(多く5~7)の詩節(スタンツァstanza)の集合から成り立つ。普通一つの詩節は韻律の異なる二つの部分に分かれ,前半部をフロンテfronte,後半部をシルマsirmaと呼ぶ。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

カンツォーネ【canzone】
イタリアの民衆に広く愛唱されている歌謡の総称。特に日本では、ナポリ地方で生まれた流行歌をいう。
一四~一八世紀イタリアの抒情詩型の一。ダンテ・ペトラルカによって確立。また、これに基づく歌曲および器楽曲。カンツォーナ。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

カンツォーネ
かんつぉーね
canzoneイタリア語
イタリア語で「歌」「歌謡」という意味であるが、日本では普通、純クラシック曲を含まず、イタリアのポピュラー・ソングをさすことばとして用いられる。そのなかには、古くから各地に伝わる民謡もあり、プロの人気作曲家による作品もある。リリック(叙情的)な歌曲から、ジャズやロックの影響を受けたものまで多種多様であるが、全体的にみて第一の特色は、メロディが明るく美しく、だれにでも歌いやすいことである。内容も比較的単純で、率直な表現による恋の歌が多い。曲の構成は、たいてい2小節、4小節、8小節というように、規則正しく進行し、1番ごとにリトルネッロritornelloという繰り返しがついて曲調を盛り上げ、聞かせどころを形づくる。これに対して、曲の始めの「語り」にあたる部分をストロファstrofaという。[永田文夫]

カンツォーネ・ナポリターナ

カンツォーネのなかでも早くから世界に知られていたのはカンツォーネ・ナポリターナ、略してナポリターナである。これはその名のとおり港町ナポリに発達したもので、ほかのカンツォーネとは違った独特の特徴をもっている。すなわち、歌詞はナポリ方言で書かれ、メロディや節回しにもエキゾチックな外来音楽の影響がうかがえる。
 現存する最古のナポリターナは、12世紀初頭の『太陽がのぼる』という歌であるといわれる。その温床となったのは、15世紀の中ごろから始まったピエディグロッタの歌祭りであった。もともとはナポリの漁師たちが聖母像に歌や踊りを奉納して、大漁や海上安全を祈り、感謝を捧(ささ)げる祭礼であったが、やがて全市をあげての音楽祭となり、1860年のイタリア統一後は、ナポリが商業の中心地として栄えるとともに一段と活気を呈した。そして、1891年から、出品された新曲を審査員が審査して優勝を決めるコンテスト形式が制度化され、『オ・ソレ・ミオ』(1898)、『帰れソレントへ』(1902)などの名歌が世に送り出された。
 下って1930年代、北イタリアのミラノに主導権を奪われてナポリが斜陽化するにつれ、ナポリターナも衰微したが、歌祭りの伝統を守るべく、52年からナポリ音楽祭が発足した。[永田文夫]

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後カンツォーネ界のリーダーシップをとったのは、1951年に始まったサン・レモ音楽祭である。当初の目的はシーズンオフの観光客誘致であったが、58年に『ボラーレ』、59年に『チャオ・チャオ・バンビーナ』というドメニコ・モドゥーニョの作品が2年連続して優勝、その大ヒットによって、サン・レモ市の名は全世界に知られ、カンツォーネ全体がインターナショナルなスタイルを身につける。モドゥーニョをはじめ新しいタイプのカンタウトーレcantautore(作曲家兼歌手、いわゆるシンガー・ソングライター)が輩出し、ミーナらロック調のカンツォーネ歌手も登場した。こうして、60年代の前半、ミルバ、チンクェッティGigliola Cinquetti(1947― )らの人気歌手も現れて、カンツォーネは日本でも大いに流行し、黄金時代を迎える。
 一方、ビートルズの大成功に刺激されて、グループが次々に結成され、1966年ごろからグループ・サウンズのブームがおこった。しかし、あまりに難解なカンタウトーレや、前衛的になりすぎたグループはかえって大衆から遊離してしまい、70年代はいささか低迷の観があったことは否めない。その後は、カンツォーネ本来の味わいを尊重した、ソフトな親しみやすい歌が、ふたたび好まれるようになってきた。[永田文夫]

さまざまな音楽祭

祭り好きの国民性を反映して、イタリアではナポリ音楽祭、サン・レモ音楽祭のほかにも数多くの音楽祭が行われる。たとえば、1959年からボローニャで開かれている「ゼッキーノ・ドロ」は子供のための音楽祭で、『黒猫のタンゴ』などのヒットを生んだ。「夏のディスク・フェスティバル」は、バカンス・シーズンのレコード・セールスを目的としたコンテスト、「フェスティバルバール」も、同じく夏の避暑地のジューク・ボックスに参加曲を入れて、かかった回数を競い、上位歌手を集めて決選大会を開くという趣向で、いずれも64年から始まった。さらに、65年にはベネチア音楽祭がスタート。また「カンツォニッシマ」は1956年にラジオで開始、58年にテレビに移して、毎年方法を変え、一時はトトカルチョを採用して人気をあおった。これらを含め、音楽祭がピークに達した65年前後には、イタリア全土で119のコンテストが行われていたという。カンツォーネは音楽祭によって発展したといっても過言ではない。
 しかし、1970年代以降、経済の悪化に伴って音楽祭の運営が困難となり、その権威も低下して、出場を拒否する歌手も現れた。音楽祭も次々に消滅したが、サン・レモ音楽祭、ナポリ音楽祭、フェスティバルバールなどは、21世紀に入っても継続され、カンツォーネの牙城(がじょう)を守っている。[永田文夫]

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精選版 日本国語大辞典

カンツォーネ
〘名〙 (canzone)
① 一四世紀から一八世紀にかけてイタリアで愛好された世俗詩の形式、およびそれに基づく歌曲、器楽曲。
② イタリアの大衆的歌曲。

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