●カント
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
カント
Canth, Minna
[没]1897.5.12. クオピオ
フィンランドの女流作家,劇作家。本名 Ulrika Vilhelmina Canth。旧姓 Johnsson。フィンランド文学史上初めてコミュニストを登場させた作品を発表,社会問題提起の劇作家として知られる。学生時代に恩師の J.F.カントと結婚,35歳のとき夫と死別,7児の母として商店経営,地方新聞編集,著作にたずさわる。処女作『小説と物語集』 Novelleja ja Kertomuksia (1878) ,戯曲『家宅侵入』 Murtovarkaus (82) は成功作とはいえないが,教会および社会の不正を摘発する現実主義的立場に立ち,この姿勢は終生変らなかった。戯曲『労働者の妻』 Työmiehen Vaimo (85) はその意味で文学的論議よりも社会的論議の対象となった。 1880年代後半は戯曲から遠ざかり,短編小説『ハンナ』 Hanna (86) ,『貧民』 Köyhää kansaa (86) ,『秘密の暗礁』 Salakari (87) ,『法律では』 Lain mukaan (89) ,『商人ロポ』 Kauppa-Lopo (89) に充実をみせた。晩年には『牧師の家庭』 Papin perhe (91) ,『シュルビ』 Sylvi (93) ,『アンナ・リーサ』 Anna Liisa (95) などの戯曲を残す。 J.アホと並んで近代フィンランドのリアリズム文学を代表する一人。全集 (1917~20) ,選集 (53) がある。
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カント
Kant, Hermann
ドイツの作家。電気工となり,第2次世界大戦に参加,ポーランドで捕虜生活をおくる。戦後,大学に学びフンボルト大学講師。主著『講堂』 Die Aula (1965) ,1983年に映画化された『滞在』 Der Aufenthalt (77) 。
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カント
Kant, Immanuel
[没]1804.2.12.
ドイツの哲学者。近世哲学を代表する最も重要な哲学者の一人であり,またフィヒテ,シェリング,ヘーゲルと展開した,いわゆるドイツ観念論の起点となった哲学者。批判的 (形式的) 観念論,先験的観念論の創始者。 1740~46年生地の大学で神学,哲学を学んだ。卒業後,家庭教師を長い間つとめ,55年ケーニヒスベルク大学私講師。その後,エルランゲン,イェナ各大学から招かれたが固辞し,70年ケーニヒスベルク大学の論理学,形而上学教授となった。 96年老齢のため引退。主著『純粋理性批判』 Kritik der reinen Vernunft (1781) ,『実践理性批判』 Kritik der praktischen Vernunft (88) ,『判断力批判』 Kritik der Urteilskraft (90) 。
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デジタル大辞泉
カント(cant)
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カント(Immanuel Kant)
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世界大百科事典 第2版
カント【Can Tho】
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カント【Minna Canth】
フィンランドの小説家。35歳で夫と死別し7児の母として創作に入り,イプセン,ストリンドベリ,ゾラの影響で,女性・貧民の地位向上と啓蒙を意図して,教会・社会の不正を糾弾する気迫に満ちた戯曲と小説を残した。とくにフィンランド写実主義文学の代表的作品とされる《労働者の妻》(1885)は社会的論議を沸かし,婦人の地位向上に大きく寄与した。終生ペンによる女性解放の姿勢を貫いた。【高橋 静男】
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カント【Immanuel Kant】
ドイツの哲学者。西欧近世の代表的哲学者の一人。東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現,ロシア領カリーニングラード)に馬具商の長男として生まれ,幼児期に敬虔主義の信仰篤(あつ)い母から大きな影響を受ける。当地のフリードリヒ学舎を経てケーニヒスベルク大学に学び,当時ドイツの大学を支配していたライプニッツ=ウォルフの哲学に触れるとともに,師M.クヌッツェンの導きのもとに,とりわけニュートン物理学に興味を寄せる。
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精選版 日本国語大辞典
カント
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旺文社世界史事典 三訂版
カント
Immanuel Kant
ドイツの近代哲学の大成者
プロイセン王国のケーニヒスベルクの馬具匠の子として生まれ,ケーニヒスベルク大学でニュートン物理学を学んだ。1755年,ラプラースに先だって星雲説を述べた。1770年,ケーニヒスベルク大学教授となり,イギリス経験論とデカルト的合理主義哲学を総合し,自然や道徳を神学から遮断し,ドイツ観念論哲学をうちたてた。主著『純粋理性批判』(1781),『実践理性批判』(1788),『判断力批判』(1790)は3批判書と呼ばれる。彼は経験論・合理論のいずれもが独断的であるとして,認識の可能性や限界を明らかにするため批判主義の立場にたった。認識能力の限界を究明批判して,決定論をさけた彼の方法は批判哲学と称された。また激動の時代に際し,国際平和という理念から『永久平和論』を著した。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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