●カージャール朝【カージャールちょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
カージャール朝
カージャールちょう
Qājāriyya
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
カージャール‐ちょう〔‐テウ〕【カージャール朝】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
カージャールちょう【カージャール朝 Qājār】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
カージャール朝
かーじゃーるちょう
Qājār
近代イランの王朝(1779~1925)。カスピ海南東部ゴルガーン地方に遊牧していたトルコ系のカージャール部族が、アーガー・モハンマドに率いられて1779年ザンド朝を倒してイランを統一した。1786年首都をテヘランに移した。同朝の国家構造は遊牧分封制に基づく中世的なものであり、19世紀になると、イギリス、ロシアを中心とするヨーロッパ列強の経済的、政治的侵略にさらされた。二度にわたる対ロシア戦争の結果、1828年のトルコマンチャーイ条約によってカフカスの領土を失い、41年のイギリスとの通商条約締結によって資本主義の市場に組み込まれた。1848~51年の宰相アミール・カビールによる近代改革は実効をあげず、70年代以降のヨーロッパ人投資家に対する各種利権譲渡によって王朝の体制は弱体化した。1891~92年のたばこボイコット運動、1905~11年の立憲革命によって王朝の支配権は揺らぎ、第一次世界大戦後の1921年のレザー・ハーンの軍事クーデターで事実上、崩壊した。
[坂本 勉]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
カージャール‐ちょう ‥テウ【カージャール朝】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社世界史事典 三訂版
カージャール朝
カージャールちょう
Qājār
イランのトルコ系イスラーム王朝
シーア派を信奉するアーガー=ムハンマドが,ゼンド朝を滅ぼして建国。アーガーは1796年,バクー地方に侵入したロシア軍を撃退したが,1828年ファテ=アリ帝のときトルコマンチャーイ条約により,ロシアに治外法権を認めて外国の侵略を招き,1907年に英露協商で半植民地化された。1925年の政変でパフレヴィー朝に代わった。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「カージャール朝」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●カージャール朝の関連情報
関連キーワード
| フランス革命史(年表)| 知識学| ロベスピエール| ロベスピエール| 東洲斎写楽| サボリ| ペリー| 葛飾北斎| クリスチャンボー城| 共和暦第三年憲法|