@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

ガズナ朝【ガズナちょう】

世界大百科事典 第2版

ガズナちょう【ガズナ朝 Ghazna】
アフガニスタンに興ったトルコ系イスラム王朝。977‐1186年。サーマーン朝のトルコ人マムルーク(奴隷軍人),アルプティギーンは逃亡してアフガニスタンのガズナの実質的な支配者となり,以後マムルークたちが次々に権力を握った。サブクティギーン以降は世襲となり,インドへの侵入を開始,その子マフムードは遠くソムナートまで遠征してヒンドゥー教寺院を破壊し,イスラムの擁護者としての名声を得るとともに,多数の略奪品を得た。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

ガズナ朝
がずなちょう
Ghazna

10世紀のなかごろから12世紀後半にかけてのアフガニスタン地方のトルコ系王朝(962~1186)。ガズニー(ガズナ)を首都としたので、この名がある。ペルシア系サーマーン朝のトルコ人奴隷アルプティギーンAlptigīn(在位962~963)によって創始され、その奴隷サブクティギーンSubktigīn(在位977~997)のときに支配権力が確立した。彼の治世からすでにインドへ侵入軍を送っているが、その子マフムードMahmūd(在位998~1030)のとき十数回にわたって侵攻を繰り返し、カナウジ、マトゥラなどの諸都市やグジャラート地方を攻略した。財宝で知られたソムナート寺院の略奪は史上もっとも有名である。しかし一方では、ペルシア風イスラム文芸を奨励して、アル・ビールーニーや詩人フィルドウスィーなどを優遇している。王朝は、この勇王マフムードの死後は急速に衰え、のちゴール朝勢力に押されて西北インドに小領域を保ちつつ存続したが、1186年ついにゴール朝のインド侵入軍によって最終的に滅ぼされた。

[荒 松雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

ガズナ‐ちょう ‥テウ【ガズナ朝】
(ガズナはGhazna) アフガニスタンのイスラム王朝。九六二年サーマーン朝の将軍、アルプティギーンがガズナ(現在はガズニー)に建国。一一世紀初頭、第七代のマフムードの時が最盛期。一一八六年、ゴール朝により滅ぼされた。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社世界史事典 三訂版

ガズナ朝
ガズナちょう
Ghazna
962〜1186
アフガニスタンに建てられたトルコ系イスラーム王朝。カズニ朝ともいう
サーマーン朝の奴隷アルプテギンがガズナに逃れて創立した。第7代マフムード(位998〜1030)の時代が王朝の隆盛期で,17回にわたりインドに侵入し,インドのイスラーム化を進めた。宮廷には詩人フィルドゥシーが侍した。セルジューク朝とゴール朝の圧迫を受けて滅亡。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ガズナ朝」の用語解説はコトバンクが提供しています。

ガズナ朝の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation