@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

ガダルカナルの戦い【ガダルカナルのたたかい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ガダルカナルの戦い
ガダルカナルのたたかい
Battle of Guadalcanal
太平洋戦争において,1942~43年ソロモン諸島ガダルカナル島をめぐって行なわれた日本軍とアメリカ軍戦い。1942年6月に日本軍が大敗したミッドウェー海戦と並び,太平洋戦争における戦局の大きな転換点となった。1942年8月7日,アレキサンダー・A.バンデグリフト少将指揮下のアメリカ海兵隊 6000人がガダルカナル島に奇襲上陸し,同 1942年7月から飛行場を建設していた日本軍 2000人をたちまち圧倒した。日本軍はアメリカ軍の本格的な反攻と判断せず,8月に一木支隊 800人,川口支隊 3500人,海軍陸戦隊 500人を送り込んで奪回をはかったが失敗。さらに 9月12~14日と 10月23~25日にそれぞれ 2個師団を送り,10月に島内の日本軍の兵力は最大の 3万6000に達したが,飛行場を奪還することはできなかった。日本軍より迅速に増派を行なったアメリカ軍の兵力は,1943年1月には 4万4000であった。1943年2月1~7日,日本軍の生存者 1万2000人が撤退。日本軍の戦死者は 2万4000人以上,アメリカ軍の戦死者は 1600人,戦傷者は 4200人。輸送力不足から日本軍は食糧や兵器が欠乏し,餓死する兵も出たため,ガダルカナル島は「餓島」とも呼ばれた。日本軍の戦死者の死因は,餓死のほかマラリアなどの熱帯病によるものも多かった。
この間,ガダルカナル島をめぐって第1次ソロモン海戦(アメリカ合衆国側の呼称はサボ島海戦),第2次ソロモン海戦(東ソロモン海戦),サボ島沖海戦(エスペランス岬海戦),南太平洋海戦(サンタクルーズ海戦),第3次ソロモン海戦(ガダルカナル海戦),ルンガ沖海戦(タサファロンガ海戦)の,6回にわたる海戦が行なわれた。日本軍の艦艇の損失は,航空母艦 1,戦艦 2,重巡洋艦 3,軽巡洋艦 1,駆逐艦 11,潜水艦 6の計 24隻。アメリカ軍の損失は航空母艦 2,重巡洋艦 6,軽巡洋艦 2,駆逐艦 14の計 24隻。双方ともその他多数の損傷艦を生じた。多数の艦艇が海底に沈んだことから,アメリカではガダルカナル島北方の海域は鉄底海峡 Iron Bottom Soundと呼ばれる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

ガダルカナルの戦い
ガダルカナルのたたかい
1942年8月〜'43年2月,日本軍とアメリカ軍との間で行われたガダルカナル島の争奪戦
1942年5月の日本軍の南太平洋ソロモン群島南端のガダルカナル島占領に対し,アメリカ軍は8月から6か月にわたる全力反撃をおこし,激しい争奪戦ののち日本軍は敗退。太平洋戦争の大きな転機となった戦いで,以後日本は急速に敗戦に向かった。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ガダルカナルの戦い」の用語解説はコトバンクが提供しています。

ガダルカナルの戦いの関連情報

関連キーワード

レジスタンス文学森一生国際オリンピック委員会東条英機内閣リーンアントニー ビーバーアンガー第2次世界大戦第2次世界大戦太平洋戦争

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation