●キュレネ
キュレネ
Kyrēnē
北アフリカのリビア沿岸にあった古代ギリシアの
植民市 (→
アポイキア ) 。現シャハト。バットス (のちの王) を頭とするテラ人により,前 630年頃植民。歴史家ヘロドトスの記述や碑文史料から食糧不足を原因とする植民と推測される。アルカイック期のギリシア人の植民の事情をうかがわせる好個の
一例。前 525年頃
アケメネス朝ペルシアに
従属,その後独立したが,アレクサンドロス3世 (
大王) に
征服され,前 323年頃から
プトレマイオス朝の
支配下に入った。医学の学校があり,地理学者
エラトステネス,哲学者
アリスチッポスを生むなど知的活動の中心地として栄えた。前 96年
ローマの支配下に入り,
繁栄を続けたが,2世紀初め頃ユダヤ人の大
反乱が起こってから衰退しはじめ,642年の
アラブの征服によって市は
廃墟となった。ローマ時代の
遺跡があり,1982年世界遺産の文化遺産に登録。
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
キュレネ(Cyllene)
木星の第48
衛星。他の多くの衛星とは逆方向に
公転している。2003年に発見。名の
由来は
ギリシャ神話の
ゼウスの娘。非球形で平均直径は2キロ。キュレーネ。
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
キュレネ(Kyrēnē/〈英〉Cyrene)
リビア北東部、
キレナイカ地方にある古代ギリシャの都市遺跡。紀元前7世紀、テラ島(現
ティラ島)の住民が指導者バットスに率いられて
入植。
アケメネス朝ペルシア、プトレマイオス1世の支配を経てローマの
属州となるが、紀元後2世紀のユダヤ人の反乱、7世紀のアラブ人の侵入により廃墟となった。
アポロン神殿・
ゼウス神殿・
デメテル神殿などの
遺構がある。1982年「キュレネの古代遺跡」の名で
世界遺産(文化遺産)に登録された。2016年、政情不安により
危機遺産に登録。キュレーネ。
キレネ。英語名
セイリーン。
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
キュレネ【Kyrēnē】
アフリカ北岸の古代ギリシア植民市。現在はリビア領に含まれ,
ベンガジの北東約200kmに位置し,大規模な発掘が行われた。前7世紀の末,飢饉に襲われたテラ(サントリニ)島住民の一部がバットスBattosを植民指導者としてこの沃地に入植(前4世紀に再録された植民決議の碑文がキュレネの
アゴラから出土している),バットス一門の
王政は前5世紀半ばまで続いた。その後,
プトレマイオス王朝の支配を経て,前74年にローマの属州キレナイカとなる。
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
キュレネ
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「キュレネ」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●キュレネの関連情報
他サービスで検索