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ギリシア哲学/用語【ぎりしあてつがくようご】

日本大百科全書(ニッポニカ)

ギリシア哲学/用語
ぎりしあてつがくようご

*印は、別に本項目があることを示す。


アポリア* aporia
 行き詰まり、難問。

あらぬもの (メー・オンmē on)
 「あるもの(オン)」の否定形で、非存在者。

あるもの (オンon)
 存在者。「あるto be」を意味する動詞「エイナイ」の分詞形。英語のbeingにあたる。まったく抽象的に「……である」といわれる限りのものすべてを意味するとともに、具象的に存在事物を意味する。パルメニデスでは、その方言に従い、エオンといわれる。

意見(いけん) (ドクサdoxa)
 思い、臆見(おっけん)、判断。「思われる」を意味する動詞「ドケイン」の名詞化で、「思われ」を意味する。事物を真に知っているか否かにかかわらず、或(あ)る人々が自分でそう思っているだけのことを意味する。パルメニデスでは「死すべきものの思い(ドクサ)」といわれる。プラトン以後「知識(エピステーメー)」に対して用いられる。さらに、思いは「何かが何かである」と思うことなので、ドクサはこの「判断」の働き、または内容を意味する。

運動変化(うんどうへんか) (キーネーシスkīnēsis)
 広く「何かが何かになること」をいう。アリストテレスでは、実体、性質、量、場所の4種のカテゴリアの別に応じて「生成・消滅」「性質変化」「増大・減少」「移動」の4種を含むものである(厳密な用法では、このうち実体に関する変化「生成・消滅」を除いた残りの3種が運動変化(キーネーシス)とよばれる)。それゆえ「運動」という訳語は不適切で、「動」「変化」とするのが正しい。パルメニデスは、「何かが何かになる」とは「あるものがそれでは〔あらぬ〕ものになる」ことであり、「〔あらぬもの〕(非存在者)」の「ある」ことを認めることになるという理由で、運動変化を否定した。運動変化をいかなる意味で「ある」とするかは後の哲学の問題であった。

観想(かんそう)* (テオーリアーtheōriā)
 観照。

技術(ぎじゅつ) (テクネーtechnē)
 事物を処理する「いかになすか」の知識をいう。それが或(あ)る範囲の事柄(たとえば、造船、健康、弁論)に関するひとまとまりの知識の体系であるとき、「科学」の意味になる(造船術、医術、弁論術)。アリストテレスでは、事柄に関する単なる習熟である「経験(エンペイリアー)」と区別して、事柄をその原因から認識する一般的な知識を意味する。この意味では、それは「知識(エピステーメー)」と同義である。他方において、ある場合必然的な事柄に関する原因からの認識である理論的知識に対して、必然的ではなく他でありうる事柄(エンデコメノン、偶有存在、可能存在)にかかわる「いかになすか」の知識である実践的知識が区別されることがある。

 ここでは、「技術(テクネー)」は「賢慮(プロネーシス)」とともに実践知の一つとして、理論知である狭義の「知識」から区別される。さらに、広義の実践のうち、「制作(ポイエーシス)」が狭義の「実践(プラークシス)」から区別されるとき、「技術」は制作にかかわる実践的知識として「賢慮」から区別される。「制作」と狭義の「実践」の別は、行為の目的が行為者の外にあるとみなされるか、行為者の内にあるとみなされるかの別である。今日の意味での「技術」の概念がここにほぼ限定されたということができよう。

偶有(ぐうゆう) (エンデコメノンendekomenon)
 存在することも、しないこともありうるもの。→偶有性
原因(げんいん) (アイティオンaition)
 或(あ)る結果を引き起こした人について「責めがある」「責任がある」を意味する形容詞の名詞化。或る結果を引き起こす第一の因(もと)、原因をいう。さらに、事柄そのものの成り立ちにおいてその事柄を成り立たせている因となる、事物に内在的な原因をいう。この意味では「原理(アルケー)」「要素(ストイケイオン)」と類義語である。

原理(げんり) (アルケーarchē)
 始源、端緒。原義は事物の「始まり」「起こり」の意(「第一のもの」の意味から「支配」をも意味した)。そこから、事柄そのものの成り立ちにおける非時間的な始まり、「原理的なもの」を意味した。すなわち、存在論的、認識論的、自然学的な種々な意味で、或(あ)る一定の事柄を成り立たせる第一のもの、始源、端緒が原理である。

実践(じっせん) (プラークシスprāxis)
 行為。広義には「制作(ポイエーシス)」をも包括し「なすこと」一般を意味する。アリストテレスでは、「必然存在(アナンカイオン)」に観想(テオーリアー)がかかわるのに対して、他でありうる「偶有存在(エンデコメノン)」にかかわるとされた。同じくアリストテレスで狭義の「実践(プラークシス)」が「制作」と区別されるのは、行為の目的が行為者の外にある(たとえば、神殿の造営)とみなされるか、内にある(たとえば、名誉の獲得)とみなされるかの違いにある。いかなる制作行為も終極にはその目的は行為者(=制作者)の内にある(たとえば、船大工が船を制作するのは究極には自己の目的の実現、たとえば、職業のため、名誉のため、奉仕のため、喜びのためである)とみなされる限りでは、すべての制作行為は一つの実践行為であり、制作行為は行為者の内的目的のなんらかの実現としてのみ発するという限りでは、実践は制作を導き、これを支配する端緒である。この意味での狭義の実践にかかわる反省として倫理学が成立する。

実体(じったい)* (ウーシアーūsiā)
 本質。「あるto be」を意味する動詞「エイナイ」の分詞形に由来する抽象名詞。「それこそまさに……である、といえるもの」を意味する。それこそまさに人間であるといえるものは人間の実体(ウーシアー)である。それゆえ、それは或(あ)るものの本質をなすものでもある(ラテン語ではessentiaがこれにあたる。ウーシアーのもう一つの訳語substantiaは本来はむしろ「基体」の意味である)。この語は日常語では「財産」の意味であったが、プラトンの著作のなかで術語として用いられ、いわゆるイデアを意味した。アリストテレスでは、定義によってとらえられる事物の本質存在をいう。

真理(しんり)* (アレーテイアalētheia)
 真実。認識に関する超越的価値。

制作(せいさく) (ポイエーシスpoiēsis)
 広く「作ること」「制作行為」を意味する。狭義の「実践(プラークシス)」との別については「実践」の項参照。ポイエーシスは狭義には「詩的創作poésie」の意味で用いられる。ポイエーテースは詩人である。

生成(せいせい)* (ゲネシスgenesis)
 「あらぬもの」が「あるもの」になること。

知識(ちしき)* (エピステーメーepistēmē)
 もともとは事物を処理する「いかになすか」の知識、実際的な事柄に関する「精通」「熟達」を意味する。この意味では、「技術(テクネー)」と同義である。プラトンでは、知っていると思っているだけのこと、「意見(ドクサ)(臆見)」に対して事柄そのものを真にわきまえていること、「真知」を意味する。アリストテレスでは、事物をその原因から知ること、学問的認識を意味した。

哲学(てつがく)* (フィロソフィアーphilosophia)
 愛知。「知恵(ソフィアー)sophia」と「愛する(フィレイン)philein」の合成語。広義には「広く知恵を愛求する態度、また、この態度による学問研究」を意味し、紀元前5世紀以後、動詞形(philosophein)、または、形容詞形(philosophos)でみいだされる。だがフィロソフィアーという抽象名詞の形でこの語がみいだされるのは前4世紀になってからのことであり、そのうち、とくに重大な意味が込められてこの語が頻出するプラトンの著作では、この語はソクラテスの名前および哲学と密接に結び付いている。

 すなわち、もっともたいせつなことに関する自己の無知を知ることにソクラテスの哲学(フィロソフィアー)(愛知)はあったが、このソクラテス像との結び付きにおいて、フィロソフィアーは学識、知識としてのソフィアーからは厳に区別されるべき、自己にかかわる真知の探求の道として提示される。科学と区別された「哲学」という意味での狭義のフィロソフィアーの用法はこのへんに由来する。

ノモス* nomos
 法律、慣習の意。

パトス* pathos
 情念、情動、衝動、情熱などと訳され、ロゴスlogosに対する。ラテン語ではpassioと訳され、近代語のpassionはそこから由来する。もともとは古代ギリシア語の「受ける」「被る」を意味する動詞のpascheinから派生した語で、その根本義は「受けた情態(受態)」である。したがって、広くは、何事であれ事物が「受けた変化状態」を意味したが、狭くは、特別に「人間の心が受けた情態」を意味する。受動性、可変性がその特徴であり、その時々の内外の状況に応じて人間の心が陥る気分、情緒を総括する。理性の判断とは異なる源泉から由来するもので、「快」「苦」の情がその基本であり、古典倫理学では快、苦の情を理性の判断に従わせることが「徳」とされた。しばしば理性の命令に反抗するところから、ストア派ではパトスは病気といわれたが、それは覚醒(かくせい)的意識よりも意識下の根源衝動に関係づけられるものであり、人間存在の置かれている(表層的ないし根源的)存在状況を代表するものとして、むしろ人間存在の根源性を開示するものといえる。

必然(ひつぜん) (アナンケーanankē)
 それ以外の仕方ではありえないものの在(あ)り方をいう。それゆえ、必然とは本然の成り立ち(フィシス)に従った事物の在り方であり、存在事物を根源から律する法則的な秩序一般をいう。それは事物における永遠な秩序であり、テオーリアーの本来の対象をなす。

 これに対して、ある目的を達成するために「それなしには済まされないもの」が必然なものといわれることもある。アリストテレスはこれを仮定的な必然性とよぶ。そのもの自体は必然なものではないが、なにか他のものを前提とする限り、それが必然とされるからである。生物体の生命を維持するために必要な「飲」「食」「性」の要求が必然なものといわれるのも、この意味である。アリストテレスはこのほかに必然なものの第三の種類として、「意図に反して強制されるもの」をあげた。

フィシス physis
 自然、本性、成り立ち。事物のそのもの自体としての存在の成り立ちをいう。「生育する」を意味する動詞「フィーエスタイ」phyesthaiに関係づけて「生育するもの」の意味とするのは語源的に誤りである。なぜなら、フィーエスタイのフィーphy-は長音であるが、フィシスのフィphy-は短音だからである。だが、語形の類似から、この混同はすでに古典時代から始まり、ラテン訳語naturaも「生まれる」を意味する動詞nasciの派生語である。フィシスのフィはむしろラテン語のfu-英語のbeと同根語で「ある」を意味する。それゆえ、フィシスは本来「事物のそのもの自体がそれであるもの」「事物のあるがまま」「本性」の意味である。

 それはまた、「事物がもともとそれであるもの」「事物がそうなっているもの」「事物の本然の成り立ち」「自然」であり、この意味では事物の「あるがまま」は、同時に「なるがまま」でもある。

要素(ようそ) (ストイケイオンstoicheion)
 事物がそれから成り立っている元(もと)をいう。それゆえ、音声がそれから成り立っている元、つまり、それぞれの字母にあたる音がストイケイオンである。また、物体がそれからなる元素、火、空気、水、土のそれぞれがストイケイオンである。そこから、一般に、或(あ)る事柄がそれを第一の構成要素として成り立っている元が要素(ストイケイオン)とよばれる。この意味では、それは「原理(アルケー)」「原因(アイティオン)」と類義語である。

理性(りせい)* (ヌースnūs)
 物事を正しく判断したり、真偽、善悪を識別する力。→ヌース
流出(りゅうしゅつ) (アポロエーaporroē)
 プロティノス哲学の核心をなす語で、ラテン語のエマナティオemanatioにあたる。→プロティノス
ロゴス* logos
 ことば、理法、理由、定義、比例、構造、分別、理性。

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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