●クニッピング
デジタル大辞泉
クニッピング(Erwin Knipping)
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
クニッピング Knipping, Erwin
1844年4月27日生まれ。アムステルダムの商船学校を卒業して汽船の航海士となり,東洋に来航。明治4年東京で下船し,大学南校の数学教師をへて内務省暴風雨取調掛となる。16年日本ではじめて天気図をつくって暴風雨警報をだし,17年から天気予報をはじめた。24年帰国。1922年11月22日死去。78歳。
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世界大百科事典 第2版
クニッピング【Erwin Knipping】
日本の気象事業の創設に大きな貢献をしたドイツの気象学者。クレーフェに生まれ,1864年オランダの航海学校に入る。67年一等航海士として汽船クーリエ号に乗り遠洋航海に従事する。71年(明治4)船が転売されたため日本に下船,大学南校の教師となりドイツ語,数学などを教えた。気象に関心が深く,官舎に気象観測の器械を備え,学生を助手として定時観測を始めた。75年には東京外国語学校の教師となり,翌年は内務省駅逓寮に移り,管船課司験官となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
クニッピング
くにっぴんぐ
Erwin Knipping
(1844―1922)
明治初年に来日し、日本における暴風警報および天気予報事業の創業に尽力したドイツ人。オランダ国境に近いクレーフェに生まれ、アムステルダムの商船学校を卒業して二等航海士となり、汽船クーリエに乗り組んで東洋に来航した。たまたま同船が日本に売却されることになったので、1871年(明治4)に下船し、開成学校の数学教師となった。1876年逓信(ていしん)局に雇用されている間に、暴風警報の必要性を説いた建白書を提出。1881年から内務省御雇いとなって暴風警報事業を始め、1883年5月26日、日本最初の暴風警報が発せられ、翌1884年から全国の天気予報の発表が開始された。1891年帰国し、ハンブルクの気象台の助手を務めた。著書はとくにないが、ドイツ系のアジア協会の雑誌に、日本の気象や暴風の特徴について述べた論文を何編か発表している。
[根本順吉 2018年8月21日]
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367日誕生日大事典
クニッピング
ドイツの気象学者
1922年没
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精選版 日本国語大辞典
クニッピング
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