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クムラン教団【クムランきょうだん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

クムラン教団
クムランきょうだん
Qumran community
死海文書」中に含まれる「クムラン文書」を作成した人々によって構成されていた宗教団体で,発掘された遺跡はその修道院的な共同生活の場であった。ダマスコ教団と密接に関係しており,両教団は共通して倫理的傾向と終末論的黙示思想をもっていた。彼らは希望を未来に向け,救いをもたらすメシアの先駆者である「公正の教師」を待望した。教団 (ヘブライ語のヤハド) とは一つの信仰により結合された共同体をいい,共同体の組織,規則などについては「教規戒律」「会衆規定」「感謝の詩篇」「ダマスコ文書」 (1910年カイロで発見) などの資料がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

くむらんきょうだん【クムラン教団】

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大辞林 第三版

クムランきょうだん【クムラン教団】
ユダヤ教内エッセネ派系の宗教共同体。前二世紀から後68年までクムランの洞穴に住み、財産の共有、共同の食事、清貧を重んじる修道的生活を送った。旧約聖書・外典・偽典・宗規要覧など多数の写本群を残す。 → 死海文書

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日本大百科全書(ニッポニカ)

クムラン教団
くむらんきょうだん
Qumran Community (Sect)
1947年の春、死海北西岸付近で偶然発見された『死海文書(写本)』および1951~56年に発掘されたキルベト・クムラン、アイン・フェシカの遺跡によって、ここに住んでいたことの確認された、エッセネ派と思われるユダヤ教徒の集団をさす。彼らはユダヤ人のヘレニズム化に反対してパリサイ派に迫害され、紀元前2世紀の後半この地に集まり、ローマの支配に対するユダヤ人の大規模な反乱「第一次ユダヤ戦争」のさなかの紀元後68年ごろに四散したものと推測される。彼らは「義の教師」に率いられ、12人の平信徒と3人の祭司からなる教団会議をもち、10人ごとのグループに分かれ、律法を学び、厳格な戒律を守り、生活のあらゆる面で清浄さを強調し、後の修道士とよく似た団体生活を送った。[今野國雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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