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クリミア半島【クリミアはんとう】

朝日新聞掲載「キーワード」

クリミア半島
15世紀にクリミア・ハン国が成立する中でクリミア・タタール人が形成。オスマン・トルコの保護国となりイスラム化が進んだ。1783年、ロシア領に編入後はロシア人が入植。ナチス・ドイツとの協力を理由にソ連が1944年にクリミア・タタール人を中央アジアなどに強制移住させた。54年に旧ソ連のロシア共和国からウクライナ共和国に移管されたが、今もロシア系住民が過半数を占める。
(2014-03-01 朝日新聞 朝刊 1外報)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

世界大百科事典 第2版

クリミアはんとう【クリミア半島 Krymskii poluostrov】
ウクライナ南部,黒海の北岸から南に突出した大きな半島。クリム半島とも呼び,面積2万5500km2。そのほぼ全域がウクライナのクリミア自治共和国に属する。北端は幅わずかに8kmのペレコプ地峡によってつながり,ここを道路と南ウクライナ~北クリミア運河が通じている。東岸はアゾフ海に面し,砂嘴潟湖が発達する。また南岸に沿ってはクリミア山地が高まる(最高点はロマン・コシの1545m)。この山脈の北斜面は緩傾斜で東西方向に軸をもつケスタ地形となり,南斜面は急傾斜で海岸に落ち,狭い平野部にはさらにアユダク(餅盤。

出典:株式会社平凡社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

クリミア半島
クリミアはんとう
Krymsky poluostrov
ウクライナの南部にある半島。ロシア語表記ではクルイム半島。1991年にクルイム自治共和国となった。面積約 2万7000km2黒海に突出し,北は狭いペレコプ地峡でウクライナ本土とつながり,東側はアゾフ海に面している。古代ギリシア時代より多くの植民市が建設され,1430年以降クリム・ハン国の領地であったが,1783年ロシアに併合された。1954年ソビエト連邦のウクライナ=ソビエト社会主義共和国に委譲されたが,ソ連崩壊後は帰属をめぐって争いが生じた。2014年クルイム自治共和国でロシアへの帰属を問う住民投票が行なわれ,賛成多数でロシアに編入されたが,国際的には承認されていない。中部,北部は乾燥したステップの平原で,穀物,果樹の栽培を中心とする農業が行なわれ,牧草地が広がる。南部は山地で,南岸に沿ってクリミア山脈が連なる。クリミア山脈は海側に険しく,山麓には美しい景観と温暖な気候で知られる狭い帯状の海岸平野が続き,ここに帝政時代以来ロシア有数の保養地として知られるヤルタのほか,アルプカ,グルズフ,アルシタ,シメイズなどの保養地がある。主要な都市は,クリミア戦争の激戦が繰り広げられた黒海艦隊の要塞軍港セバストーポリ,クリム・ハン国の首都バフチサライシンフェローポリケルチフェオドシヤエフパトリヤなど。2013年,セバストーポリ近郊にあるケルソネソス・タウリケの遺跡が「クリミア半島の古代都市とその区画農地」として世界遺産の文化遺産に登録された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

クリミア半島
くりみあはんとう
Крымский Полуостров/Krïmskiy Poluostrov

ウクライナ南端部、黒海に臨む半島。ロシア語名クリム半島、クリミアCrimeaは英語名。面積2万5500平方キロメートル。半島と本土とは北のペレコプ地峡により結ばれる。鉄道、道路、灌漑(かんがい)水路などが幅約8キロメートルの狭い地峡に通じ、唯一の陸路となっている。半島の東部にはケルチ半島が東に向けて延び、アゾフ海と黒海とを分けている。ケルチ半島の付け根からは砂州が北に延び、クリミア半島との間にシバシュ潟を形成する。半島北部は低平な乾燥したステップ(短草草原)地帯が広がる。川は短く夏季には涸(か)れ川となる。半島の南端は、ケスタ状のクリミア山脈が連なり、ステップ地帯から森林地帯へと移行する。山脈の最高峰はロマン・コシ山(1545メートル)で、頂上の周辺は準平原状の平地となり、牧場が多い。南麓(なんろく)は山脈が急崖(きゅうがい)となって黒海に落ち込むため平地が少ない。しかし、気候は地中海性で温暖なため、海岸に沿ってヤルタ、ミスホル、アルプカなどの観光・保養都市が連なる。半島のおもな産業は農業、鉄工業などである。ステップ地帯ではタバコ、綿花、果樹など、山麓面ではブドウ、タバコ、オレンジなどが栽培され輸出されている。このほかケルチを中心とした製鋼業や機械工業、ワインを主とした醸造や缶詰、製塩などの産業がある。

 半島とその周辺地域でウクライナのクリミア自治共和国を構成する。クリミア自治共和国は面積2万5881平方キロメートル、人口203万3700(2001)。首都はクリミア山脈の北麓に位置するシンフェロポリで、鉄道、航空路、道路が集中し、半島における交通の要(かなめ)となっている。

[村田 護]

歴史

クリミアの名称はモンゴル支配時代に始まるが、古くはギリシア人がつけたタウリカTauricaの名でよばれた。紀元前8~前7世紀ごろ、先住民キンメリア(キンメル)人を駆逐してスキタイ人が移ってきた。同じころギリシア人が半島の沿岸に進出し始め、前5世紀ごろケルチ半島を中心にボスポラス王国を建設し、また半島西部に都市国家ケルソネスを建てた。前2世紀ごろスキタイ人とボスポラス王国との抗争に黒海南岸のポントス王国が介入し、ボスポラス王国をその支配下に入れた。さらに前1世紀末にはローマ帝国が沿岸要地を支配した。紀元後3世紀から11世紀にかけてゴート、フン、ハザール、ペチェネグ、コマン(ポーロベツ)などの遊牧民が相次いで侵入した。13世紀前半に侵入、征服したモンゴル人によって、クリミアはキプチャク・ハン国の版図に入れられた。15世紀前半、キプチャク・ハン国の分裂によって、ここにクリム・ハン国が独立する(1426ころ)が、世紀後半にはオスマン・トルコ帝国の保護国となった。16、17世紀、トルコの後押しでクリム・ハン国はロシアを脅かしたが、18世紀には形勢逆転し、第一次ロシア・トルコ戦争(1768~74)を経てトルコの宗主権を離れ、ロシア領となった(1783)。19世紀には軍港セバストポリを中心としてクリミア戦争(1853~56)の舞台となった。20世紀に至り、ロシア革命によってソビエト連邦内の自治共和国となる(1921~45)が、第二次世界大戦中ドイツ軍の一時占領を経て、ウクライナのクリム州となり、1991年のソ連解体で、クリミア自治共和国となった。保養地ヤルタでは、1945年2月、第二次世界大戦における連合国側の戦争政策と戦後処理の問題を討議する、イギリス、アメリカ、ソ連の首脳会談(ヤルタ会談)が行われた。

[伊藤幸男]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

クリミア‐はんとう ‥ハンタウ【クリミア半島】
ウクライナ南部、黒海とアゾフ海との間に突出する半島。古代名タウリカ。南部は観光保養地が多く、北部は草原地帯で農業が行なわれる。前五世紀にはギリシアの植民都市が置かれ、一三世紀以降、キプチャク汗国・クリム汗国・オスマン‐トルコ帝国などが支配。一八五三~五六年にはクリミア戦争の戦場となった。ロシアに属していたが、ソ連時代の一九五四年、ウクライナに帰属替えになった。クリム半島。

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デジタル大辞泉

クリミア‐はんとう〔‐ハンタウ〕【クリミア半島】

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