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クールベ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

クールベ
Courbet, Amedée Anatole Prosper
[生]1827.7.26.
[没]1885.6.11. マカオ
フランスの海軍提督。 1883年にインドシナ方面艦隊司令長官となり,清仏戦争に際してアンナンを攻めて屈服させ,これを保護国とした。次いでアンナンの宗主権を主張する中国の清朝に対し,華南および台湾各地を攻撃して,天津条約によりフランスのアンナンに対する宗主権を認めさせた。

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クールベ
Courbet, Gustave
[生]1819.6.10. オルナン
[没]1877.12.31. ラ・トゥール・デュ・ペルス
フランス写実主義 (レアリスム) の代表的な画家。オルナンの富裕な地主の家に生まれ,1840年パリに出て画家を志し,ルーブル美術館および旅行先のオランダで古典を学ぶ。 1844年サロンに初出品。 1849~51年頃から写実主義的作風を求め,『石割り人夫』 (1849,戦災で焼失) ,『オルナンの埋葬』 (1849~50,オルセー美術館) を制作。 1855年のパリの万国博覧会に大作『画家のアトリエ』 (同) の展示を拒否されると,会場のすぐ近くの小屋で入場料1フランを取って 40点の作品で個展を開催,「ル・レアリスト」を宣言し,画期的な事件として話題を呼んだ。 1858~59年ドイツ滞在,1860年代にはしばしば英仏海峡の風景を描く。パリ・コミューンの際,バンドーム広場の記念柱倒壊に関連して投獄され,1873年スイスに亡命し同地で客死。彼の作風はドイツ,ロシアなど当時のヨーロッパにきわめて大きな影響を与えた。

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デジタル大辞泉

クールベ(Gustave Courbet)
[1819~1877]フランスの画家。近代写実主義の代表的画家。パリ‐コミューンに参加し、スイスに亡命。作「オルナンの埋葬」「画家のアトリエ」「セーヌ河畔の娘たち」など。

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デジタル大辞泉プラス

クールベ
《Courbet》フランス海軍の装甲艦。デヴァスタシオン級。1882年竣工。1886年就役。排水量、約10,500トン。名称は、19世紀の軍人、アメデ・クールベ提督の名にちなむ。1909年除籍。

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クールベ
《Courbet》フランス海軍の戦艦。1911年進水、1913年就役の弩級戦艦。クールベ級の1番艦で、同型艦に、パリ、ジャンバール(のちに「オセアン」に改称)、フランスがある。1941年退役。

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世界大百科事典 第2版

クールベ【Gustave Courbet】
1819‐77
フランスの画家。19世紀フランスの写実主義の創始者。また社会主義リアリズムの先駆者ともされる。オルナンの富農の家に生まれる。ブザンソンでデッサンを学んだ後,1839年にパリに出て,アカデミー・シュイスやルーブル美術館に通い独学する。初期は肖像画,とくに自画像が多い。これはクールベの晩年まで一貫してみられるナルシシスムの証しであると同時に,自己をさまざまな側面でとらえようとする認識方法でもあり,この頃のロマン派的傾向を示している。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

クールベ【Gustave Courbet】
1819~1877 フランスの画家。現実をあるがままに直視して描写することを主張し、近代写実主義を主導した。パリコミューンにも参加。代表作「オルナン伯の埋葬」「石割」など。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

クールベ
くーるべ
Gustave Courbet
(1819―1877)
フランス写実主義の画家。6月10日スイス国境に近いフランシュ・コンテ地方の小村オルナンの富裕な農家に生まれる。ブザンソンの素描学校に学び、1839年パリに出る。アカデミー・シュイス、他方でルーブル美術館のスペイン、オランダの絵画に学び、とくに47年のオランダ旅行でフランス・ハルスやレンブラントの影響を受けた。44年、自画像『犬を連れた男』(パリ、プチ・パレ美術館)をサロンに初出品。初期には風景、寓意(ぐうい)画、あるいはロマン派風の主題を現実風俗に移した主題を描くが、しだいにオランダ絵画と当時の社会主義思潮の高まりの影響下に、写実主義者としての彼の主題・技法が確立してゆく。50年のサロン出品の『石割り人夫』(第二次世界大戦中失われる)、『オルナンの埋葬』(オルセー美術館)などである。55年のパリ万国博の際、そのために構想された大作『画家のアトリエ』(オルセー)が『オルナンの埋葬』などとともに出品拒否されたことから、彼の理想と絵画を表明するため、モンテーニュ街に自らバラックを建て40点の作品を展示、そのカタログに「写実主義宣言」を書いた。翌年のサロンの『セーヌのほとりの娘たち』(パリ、プチ・パレ)もスキャンダルとなる。こうした同時代風俗の描写、風景、狩猟のさまざまな情景のほか、50年代なかばからは繰り返し滞在した英仏海峡沿岸の海景、あるいは花や果実の静物、60年代後半には官能的な裸婦などさまざまな現実的主題が、それにふさわしい的確な技法で描かれる。67年アルマ橋で行われた個展は、その成果を人々に認識させた。しかし、71年パリ・コミューンの際バンドーム広場の円柱引き倒し事件に連座し、スイスへの亡命を余儀なくされ、77年12月31日ラ・トゥール・ド・ペイルスに客死した。ロマン主義、アカデミズムに対する闘いであった彼の写実主義は、ある部分で印象主義の先駆となったし、ドイツ、ベルギー、ロシアなどに広範な影響力をもった。[中山公男]
『阿部良雄編著『25人の画家5 クールベ』(1981・講談社) ▽B・ニコルソン著、阿部良雄訳『クールベ 画家のアトリエ』(1978・みすず書房)』

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367日誕生日大事典

クールベ
生年月日:1827年7月26日
フランスの提督
1885年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

クールベ
(Gustave Courbet ギュスターブ━) フランスの画家。一九世紀フランス絵画における写実主義を確立した。代表作は「オルナンの埋葬」「画家のアトリエ」など。(一八一九‐七七

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