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ケネディ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ケネディ
Kennedy, Benjamin Hall
[生]1804.11.6. バーミンガム,サマーヒル
[没]1889.4.6. トルケー
イギリスの古典学者。ケンブリッジのセント・ジョン・カレッジ卒業。ギリシア語の詩作で3度 Porson賞を獲得したが,最初は学生のときであった。教師生活を続け,1836年 S.バトラーの跡を受継いで母校シュルズベリー校の校長となった。単なる文法学者ではなく,生徒に古典文芸に対する生きた情熱を吹込んだ。 66年隠退の際,褒賞としてケンブリッジ大学にラテン語のポストが設けられ,これは彼の死後も「ケネディ教授のポスト」 the Kennedy professorshipと呼ばれるようになった。 67年から死去するまで,ケンブリッジ大学のギリシア語欽定講座教授とイーリ Elyのカノンをつとめた。著作には古典の編訳があり,『基礎ラテン読本』 Elementary Latin Primer (1843) ,これを底本とする『パブリック・スクール・ラテン文法』 The Public Latin Grammar (86) ,その改訂版『ラテン語小読本』 The Shorter Latin Primer (88) は現在なおイギリスの学校で使用されている。

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ケネディ
Kennedy, Ted
[生]1932.2.22. マサチューセッツボストン
[没]2009.8.25. マサチューセッツ,ハイアニスポート
アメリカ合衆国の政治家。フルネーム Edward Moore Kennedy。ジョン・F.ケネディ末弟。1956年ハーバード大学を卒業,その後オランダハーグにあるインターナショナル・ロースクールで学び,1959年バージニア大学で法学士号を取得。1960年から兄ロバート・F.ケネディとともにジョンの大統領選挙運動に携わった。1962年マサチューセッツ州から連邦議会上院議員に初当選,その後 7回当選を重ね,2009年に死去するまで上院議員を務めた。1969年1月上院の民主党院内幹事に就任し,将来の大統領候補と期待されたが,7月自動車事故を起こし,同乗していた女性秘書が死亡するスキャンダルに見舞われた。1980年民主党大統領予備選挙でジェームズ・E.カーターに敗れた。上院リベラル派の代表としてさまざまな場面で活躍し,2008年の大統領予備選挙ではバラク・オバマを支持した。2009年大英帝国名誉爵位を授与され,大統領自由勲章を受章した。

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ケネディ
Kennedy, John Fitzgerald
[生]1917.5.29. マサチューセッツ,ブルックライン
[没]1963.11.22. テキサス,ダラス
アメリカの政治家。第 35代大統領 (在任 1961~63) 。 1940年ハーバード大学卒業。 47年下院議員,53年上院議員,61年1月史上最年少かつカトリック教徒最初の大統領となった。ニューフロンティア政策を提唱し,対外的には柔軟反応戦略を打出す一方,中南米に対する「進歩のための同盟」計画をはじめとする発展途上国への援助を進め,国内的には景気回復と経済の安定に努めた。就任直後の 61年4月,キューバ侵攻作戦で大失態を演じたが,翌年 10月のキューバ事件では,ソ連に対し強硬な態度でのぞみ,ミサイルを撤去させることに成功した。 63年8月には部分的核兵器実験禁止条約を結び,米ソ両大国の平和共存体制の基礎を築いた。しかしベトナム問題への介入を深め,中国との関係は一段と悪化した。そして公民権政策をめぐり南部人の反感が高まるなかで,63年 11月 22日,遊説先のダラスにおいて暗殺された。文筆の才に富み,著書『勇気ある人々』 Profiles in Courage (1956) は 57年にピュリッツァー賞を受賞。

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ケネディ
Kennedy, John Pendleton
[生]1795.10.25. メリーランドボルティモア
[没]1870.8.18. ロードアイランド,ニューポート
アメリカの小説家,政治家。ボルティモア・カレッジ卒業後弁護士を経て政界に入り,1852~53年海軍長官として北極をはじめとする4次の探検隊を組織。ペリーの日本訪問もその一つである。一方文筆を好み,Mark Littletonの筆名でバージニアの田園生活を描いたスケッチ集『つばめ小屋』 Swallow Barn (1832) ,独立戦争に題材を取った『ホースシュー・ロビンソン』 Horse-Shoe Robinson (35) を発表。これらの好評に力を得て多くの歴史小説,風刺小説などを本名で発表した。彼はまたボルティモアの文学運動の指導者で,E.A.ポーを援助したことでも有名。

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ケネディ
Kennedy, Robert Francis
[生]1925.11.20. マサチューセッツ,ブルックライン
[没]1968.6.6. ロサンゼルス
アメリカの政治家。 J.ケネディ大統領の。ハーバード大学卒業。兄ジョンの大統領選挙戦に事務長として活躍,当選後司法長官となった (1961~64) 。 1964年 11月ニューヨーク州から上院議員に当選。 68年3月民主党の大統領候補選挙に出馬声明。同年6月5日カリフォルニア州予備選挙に勝利を収めた直後,ヨルダン系移民に狙撃され,翌朝死亡。

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世界大百科事典 第2版

ケネディ【John Fitzgerald Kennedy】
1917‐63
アメリカ合衆国第35代大統領。在職1961‐63年。アメリカ史上最初のカトリック系の,そして最年少(43歳)で当選した大統領。1840年代ボストンに移住したアイルランド系移民の子孫で,父は成功した実業家であり,イギリス大使も務めた。ケネディは1940年ハーバード大学卒業,海軍に志願,南太平洋で魚雷艇艇長として活躍した。第2次大戦後,政界入りを決意し,民主党候補として46年には下院議員に,52年には上院議員に当選する。

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大辞林 第三版

ケネディ【John Fitzgerald Kennedy】
1917~1963 アメリカの政治家。第三五代大統領(在任1961~1963)。民主党。ニューフロンティア政策を掲げて宇宙開発や人種問題に取り組み、また積極的な対ソ政策で協調外交を展開。遊説中にダラスで暗殺された。

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精選版 日本国語大辞典

ケネディ
(John Fitzgerald Kennedy ジョン=フィッツジェラルド━) アメリカ合衆国第三五代大統領。民主党。一九六一年大統領に就任し、アメリカの威信回復を目ざして、「ニューフロンティア精神」を提唱。部分的核実験停止条約を結び、米ソ両国間の緊張の緩和をもたらした。六三年テキサス州ダラスで遊説中に暗殺された。アメリカでは、しばしば「JFK」と略して呼ばれる。(一九一七‐六三

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旺文社世界史事典 三訂版

ケネディ
John Fitzgerald Kennedy
1917〜63
アメリカの第35代大統領(在任1961〜63)
アイルランド系。1946年下院議員,52年上院議員となり,60年民主党より史上最年少で大統領に当選し,初のカトリックの大統領となる。アメリカの威信回復のため,「ニューフロンティア精神」を提唱。1962年キューバ危機が起こるが,ソ連のフルシチョフ首相と交渉して東西緊張緩和に努力し,平和共存の路線を歩み,63年には部分的核実験停止条約を締結した。国内的には宇宙開発黒人の差別待遇廃止などに意欲的であったが,成果をあげる前に1963年11月22日テキサス州のダラスで暗殺された。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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