●ゲーリー
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ゲーリー
Gary, Elbert Henry
[没]1927.8.15. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の法律家,実業家。ユナイテッド・ステーツ・スチールの創設者の一人。当初,会社法,保険法専門の弁護士としてシカゴで活躍,多くの新興企業の顧問,役員を務めたのち,1898年新設のフェデラル・スチールの初代社長に就任。1901年フェデラル・スチールはユナイテッド・ステーツ・スチールの創設に際して統合,ゲーリーは取締役会長に選任され,以後 26年間在職,ユナイテッド・ステーツ・スチールを世界最大級の製鉄会社に発展させた。インディアナ州の工業都市ゲーリーは彼の名にちなむ。
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ゲーリー
Gary
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ゲーリー
Gehry, Frank O.
カナダ出身のアメリカ合衆国の建築家。フルネーム Frank Owen Gehry。旧名 Ephraim Owen Goldberg。1947年アメリカに移り,1949年南カリフォルニア大学芸術学部入学後,建築科に転じ,1954年同大学を卒業。1956~57年ハーバード大学で都市計画を学ぶ。いくつかの設計事務所を経て,1962年ロサンゼルスに設計事務所を設立,以後カリフォルニアを中心に活動する。ファミリアン邸(1978),自邸(1978,1991~94)にみられるように,整合的,完結的な形態の排除,安価でありふれた工業的素材を用いるという手法で,脱構成主義(→構成主義)の先駆的存在となる。ほかにカリフォルニア航空宇宙博物館(1984),ビイトラ家具博物館(1987),ミネソタ大学フレデリック・R.ワイズマン美術館(1990~93),グッゲンハイム・ビルバオ美術館(1991~97),ウォルト・ディズニー・コンサートホール(2003)などの作品がある。1986~87年には兵庫県神戸市に巨大オブジェ,フィッシュ・ダンスを完成させた。1989年プリツカー賞,1998年ナショナル・メダル・オブ・アーツ,1999年アメリカ建築協会ゴールド・メダルを受けた。
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デジタル大辞泉
ゲーリー(Gary)
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世界大百科事典 第2版
ゲーリー【Gary】
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ゲーリー【Elbert Henry Gary】
アメリカ最大の鉄鋼企業USスチール社の第2代社長。イリノイ州に生まれ,大学で法律を修めたのち,イリノイ州の郡判事やシカゴ弁護士会会長などを務め,1890年代にはイリノイ法曹界の中心的存在となる。法律の専門家としてフェデラル製鋼社などの設立に関与,98年にはその社長に就任し,以後は実業家として活躍する。大金融家モルガンJ.P.Morganの右腕として,一大鉄鋼トラストであるUSスティールの設立(1901)に尽力し,初代社長シュワッブの後を受け,1903年から27年まで社長を務めた。
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