●コプト美術【コプトびじゅつ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
コプト美術
コプトびじゅつ
Coptic art
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
コプト‐びじゅつ【コプト美術】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
コプトびじゅつ【コプト美術】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
コプト美術
こぷとびじゅつ
Coptic art
コプトとはエジプトにおけるキリスト教徒の意で、彼らの美術の総称。コプト人は2世紀末にエジプトにキリスト教が導入されて以来、ナイル流域の各地に住んだが、7世紀中ごろエジプトがイスラム化されてからは、大都市を離れナイル上流の僻地(へきち)や砂漠のオアシスなどに小さな集団をつくって住み、独特のキリスト教文化を形成した。とくに修道院建築や、木、石、象牙(ぞうげ)の彫刻、および装飾品、染織品などに優れた遺例がある。
コプト美術には王朝時代以来の古代エジプト美術の伝統とともに、ヘレニズム、ローマ、ビザンティンなどの美術の影響が認められ、しばしばそれらの様式の折衷、混成も指摘される。コプト人は、政治権力の中枢から遠ざかっていたために、その美術は時代の主流となることはなく、つねに地方的な分派として存在したことが一つの大きな特色である。
[友部 直]
建築と彫刻
建築は、修道院建築がおもな遺構である。その多くは荒廃が激しいが、エジプトの各地に残存している。初期のものとしては、5世紀初めに東ローマ皇帝アルカディウスが建立したアブ・ミナの聖メナス修道院、カハルガ・オアシスに残るエル・バガワット修道院が代表的で、後者には『旧約聖書』の場面を描いた壁画がある。この時期の建築細部の浮彫りなどには、むしろギリシア・ローマ神話にモチーフをとったものが多く、異教的伝統も強く残存していたことを示し、目がとくに大きく彫られているのも特徴である。
建築活動は5世紀後半から最盛期に入り、ソハグの白(しろ)修道院および赤(あか)修道院、バウイトの聖アポロ修道院、アスワン近郊の聖シメオン修道院などが建てられた。建築のプランは原則としてビザンティン教会堂とバシリカ式教会堂の混合ないし折衷であり、しばしば壁画で飾られたが、その多くは破損が激しい。壁龕(へきがん)、フリーズ、柱頭などの細部には、ぶどう唐草、アカンサス、組紐(くみひも)、幾何学文様などの浮彫りが施され、現存するコプト美術の主要な一群を形成している。
イスラム支配が確立されて以後は、大規模な建築活動はほとんどみられず、コプト美術は衰退に向かった。後期の建築の例としては、9世紀のワディ・ナトルンの修道院の諸建築がわずかな例としてあげられよう。
[友部 直]
染織
染織品の遺例のほとんどは埋葬された遺骸(いがい)の着衣あるいはそれに付属する装飾布で、麻糸を経糸(たていと)とし羊毛を緯糸(よこいと)とした綴織(つづれおり)である。これらはコプト織と通称され、芸術的にも高く評価されている。文様のモチーフは、ギリシア・ローマ風のものとキリスト教的なものに大別されるが、人物像は建築細部の浮彫りと同様に目が大きく表現され、身体のプロポーションの正確さには配慮がみられない。
コプト美術のコレクションとしては、カイロ旧市の一角にあるコプト美術館が代表的なもので、建築遺構の一部を含めて、各分野にわたるコプト美術を総括的に収蔵展示している。コプト織は各国のコレクションに散在する。わが国にも主として個人的なコレクションであるが、比較的多数の作品が入っている。
[友部 直]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
コプト‐びじゅつ【コプト美術】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「コプト美術」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●コプト美術の関連情報