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コワレフスキー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

コワレフスキー
Kovalevskii, Aleksandr Onufrievich
[生]1840.11.19. シュスチャンカ
[没]1901.11.22. ペテルブルグ
ロシアの動物学者。 1867年,ペテルブルグ大学で学位取得。同大学 (1867,91~93) のほか,カザン (68~69) ,キエフ (69~74) ,オデッサ (74~90) 各大学の教授を歴任。その間,海産動物研究のため,紅海,地中海沿岸におもむく。 65年に,すべての多細胞動物に共通な発生のパターンが存在することを初めて指摘した。また,ホヤの発生を研究して脊索を発見し,系統発生において原索動物の占める位置を明らかにするなど,比較形態学,発生学で重要な業績を上げた。 90年ロシア科学アカデミー会員に選出された。

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コワレフスキー
Kovalevskii, Maksim Maksimovich
[生]1851.9.8. ハリコフ
[没]1916.4.5. ペトログラード
ロシアの歴史家。貴族出身でハリコフ大学卒業後ドイツ,フランス,イギリスに留学。 1877年モスクワ大学の教授となり法制史などを担当。自由主義的であったため,87年大学を追われてフランスに移り,各地の大学で議した。 1905年の革命の際に帰国して,ペテルブルグ大学教授となり,06年には第1国会の議員となった。著書は『近代法慣習と古代法』 Sovremennyi obychai i drevnii zakon (2巻,1886) ,『近代民主主義の起源』 Proiskhozhdenie sovremennoi demokratii (4巻,95~97) など多数。

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コワレフスキー
Kovalevskii, Osip Mikhailovich; Jósef Kowalewski
[生]1801.1.9. ウォルコウィスク
[没]1878.10.20. ワルシャワ
ポーランド系ロシアの蒙古学者。 1820年ウィルニウス大学を卒業。古典語,古典文学専攻。 25年カザン大学で東洋語学を学ぶ。 27~31年蒙古や中国に住み,蒙古人の言語,文学,民俗を研究。 33~60年カザン大学,62年からワルシャワ大学教授。主著『蒙古文語文法小典』 Kratkaya grammatika mongol'skogo knizhnogo yazyka (1835) ,『蒙古文選』 Mongol'skaya khrestomatiya (36~37) ,『蒙古=ロシア=フランス語辞典』 Mongol'sko-russko-frantsuzskii slovar' (3巻,44~49,学士院デミドフ賞) 。その他,未刊原稿も多い。

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世界大百科事典 第2版

コワレフスキー【Aleksandr Onufrievich Kovalevskii】
1840‐1901
ロシアの発生学者。ペテルブルグ大学(現,サンクト・ペテルブルグ大学)を卒業。さらにドイツへ赴きハイデルベルク大学,チュービンゲン大学で学ぶ。のちにペテルブルグ学士院会員。K.E.vonベーアが提唱した〈胚葉説〉を支持し,E.ヘッケルの影響を受けた系統発生学的研究を行った。各種海産無脊椎動物の個体発生を詳細に調べ,ホヤの幼生に脊索があることやギボシムシ鰓裂(さいれつ)を見いだした。原索動物と脊椎動物との分類・系統学的関係を明らかにしたことでよく知られる。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

コワレフスキー【Maksim Maksimovich Kovalevskii】
1851‐1916
ロシアの歴史家,社会学者,民族学者,法学者。1887年モスクワ大学教授の地位を追われ,ヨーロッパの学界で活躍。1905年革命で帰国し,民主改革党を創設。06年以降ペテルブルグ大学教授。コントの実証主義から出発し,メーンの比較史的方法,タルドの心理学,デュルケームの連帯理論等の影響,部分的にはマルクスの影響をも受けながら〈発生論的社会学〉の立場を構築。これに基づき,〈比較史的方法〉を用いてとくに原始家族,家族共同体,村落共同体,国家・法の起源の実証的研究で大きな業績を遺した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

コワレフスキー
こわれふすきー
Максим Максимович Ковалевский/Maksim Maksimovich Kovalevskiy
(1857―1916)

ロシアの歴史家、社会学者。ハリコフ大学卒業後、ベルリン、ウィーン、パリ、ロンドンなどに留学。1878~1887年モスクワ大学法学部教授。反政府的立場をとったため教職を追われ、国外に出てパリ、ストックホルム、オックスフォードなどの大学で教壇に立つ。1905年の革命で帰国し、1905~1916年ペテルブルグ大学教授。1906年第一国会議員、1907年国家評議会議員。実証主義の立場から多くの研究をしたが、とくに共同体的土地所有、コーカサス(カフカス)諸民族の慣習法、フランス革命前夜の農民問題などの分野で優れた業績をあげた。

[外川継男]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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