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コンゴ【コンゴ】

大辞林 第三版

コンゴ【Congo】
アフリカ中部、赤道直下にあり、大西洋に臨む共和国。1960年フランスから独立。国土の大半は熱帯雨林。木材・石油を産出する。住民は黒人。主要言語はフランス語・リンガラ語。首都ブラザビル。面積34万2千平方キロメートル。人口400万( 2005)。正称、コンゴ共和国。
アフリカ中央部、赤道直下のコンゴ川流域を占める民主共和国。南西端部のみ大西洋に面している。1960年ベルギーから独立。71年国名をコンゴ民主共和国からザイール共和国に改めたが、97年政変によりもとの国名に戻した。南部地方は銅・ダイヤモンド・コバルトなどを産する世界的な鉱山地帯。主要言語はフランス語・キコンゴ語。住民は主にバンツー系黒人。首都キンシャサ。面積234万5千平方キロメートル。人口5750万( 2005)。正称、コンゴ民主共和国。
アフリカの中央部を流れる大河。ザンビア北東部の山地に源を発して北流、コンゴ盆地を南西流して大西洋に注ぐ。下流に急流点が多い。長さ4370キロメートル。旧称、ザイール川。

出典:三省堂
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デジタル大辞泉プラス

コンゴ
1995年製作のアメリカ映画。原題《Congo》。マイクル・クライトン『失われた黄金都市』の映画化。監督:フランク・マーシャル、出演:ディラン・ウォルシュ、ローラ・リニー、アーニー・ハドソン、ティム・カリーほか。

出典:小学館
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日本大百科全書(ニッポニカ)

コンゴ
こんご
Congo
アフリカ中西部、コンゴ川流域のコンゴ盆地を中心とする地方。かつてコンゴ王国が栄えたが、その後ベルギー、フランス、ポルトガルが分割して植民地を形成した。現在フランス領コンゴはコンゴ共和国、ベルギー領コンゴはコンゴ民主共和国となり、ポルトガル領はアンゴラに属している。
 コンゴ地方が世界史に登場するのは、コンゴ川河口にヨーロッパ人が到達した15世紀にさかのぼる。大航海時代初期の1482年にポルトガルの航海者ディオゴ・カンがコンゴ川の河口を発見し、その名をヌゼレ(すべてを飲み込む川)と記した。この河口一帯の地域に居住していた住民はコンゴ人であり、当時すでにマニコンゴとよばれる王が支配するコンゴ王国を形成していた。続いてバルトロメウ・ディアスがコンゴ川河口に寄航し、コンゴ王国の使節をポルトガルに送った。当時のコンゴ王国の領土は、北は現在のガボンのオゴウエ川、東はコンゴ民主共和国のバテレ高原とクリンゴ川、南はアンゴラのクアンザ川でくぎられる約50万平方キロメートルに及ぶ広大なもので、400万~500万の人口を抱える大国であった。コンゴ王は当時のヨーロッパ諸王国の君主にも匹敵するような中央権力を行使し、整備された行政組織で王国を支配していた。しかし、その後はポルトガル人をはじめとするヨーロッパ人の奴隷貿易の供給地となり、数百万人の奴隷がアメリカ大陸に運ばれた。一方、大西洋岸沿いには、ヨーロッパ人の奴隷狩りに手を貸し、通商で銃器を得たロアンゴ、カコンゴ、ヌゴイオなどの小王国が形成された。
 ヨーロッパ列強によるアフリカ分割の時期に、コンゴ地方の植民地化のきっかけとなったのは、探検家スタンリーであった。スタンリーは、当時のアフリカ探検の最大のテーマであったナイル川の水源問題を明らかにするため、1874年にインド洋岸のザンジバルからコンゴ川の上流地域に足を踏み入れ、コンゴ川を下り、河口までを踏査し、大西洋に出た。この探検に関心を寄せたベルギー王国のレオポルド2世は、このコンゴ川流域地方を自国の植民地とする野心をもった。彼は国際アフリカ協会を設立し、それを隠れ蓑(みの)にしてコンゴ川開発計画をスタンリーの手にゆだねた。スタンリーはコンゴ川の遡航(そこう)を妨げるリビングストン滝を迂回(うかい)する道路をつくり、さらにスタンリー・プールの上流に進み、スタンリー滝の下流に基地を建設した。こうしてコンゴ川の左岸全域を確保し、レオポルド2世の野望に確固たる基礎を築いた。一方、フランスの海軍士官ド・ブラザは、ガボンのオゴウエ川から探検を開始、コンゴ川の流域に入った。1880年9月ド・ブラザはコンゴ川右岸のムベ(いまのブラザビル)に達し、その地方を治める首長マココと条約を締結した。これが、コンゴ川北岸地方のフランスの足場を築き上げ、そののちフランス領赤道アフリカの植民地建設の基礎となった。1884~85年に開かれたベルリン会議の結果、コンゴ川右岸の67万平方キロメートルはフランス、コンゴ川下流左岸一帯の91万平方キロメートルはポルトガルの主権が承認された。残りの259万平方キロメートルはコンゴ独立国(コンゴ自由国)の名目でレオポルド2世にゆだねられたが、レオポルド一個人が莫大(ばくだい)なコンゴの富を略奪することに国際世論の批判が高まり、1908年ベルギー領となった。
 1902年に発行されたイギリスの小説家ジョセフ・コンラッドの『闇(やみ)の奥』は、恐怖と不安の場所というコンゴ観を広めた。そして1960年のベルギー領コンゴの独立に際して勃発(ぼっぱつ)したコンゴ動乱は、ふたたびコンゴの名前に「血なまぐさい暴力」「野蛮」「暗黒」などの神話を付け加えた。しかしコンゴは、アフリカの伝統文化の宝庫である。この地方のバントゥー系諸族は、金や鉄、銅などの金属の採鉱や冶金(やきん)の技術を開発し、実用的な武器や道具、装飾品や彫像などの工芸を発達させた。アフリカでも、もっともみごとな仮面や彫像などを生み出す地方の一つである。またラフィアヤシの繊維を織り上げ、樹皮をたたいて布をつくり、つるや植物繊維で籠(かご)やざるなどを細工した。象牙(ぞうげ)やカバの牙(きば)などを彫刻し、木製の彫像や道具なども製造した。こうした物質文化の背後には豊かな精神文化が根づいている。たとえば、ルバ人の宗教、世界観を明らかにしたタンペル神父は、「力は存在であり、存在は力である」という生ける力の観念を取り出して、その著書を『バントゥー哲学』と題している。アフリカの彫刻はその表現性によって、ヨーロッパ美術に強烈な衝撃を与えたが、これらの仮面や神像、祖先像は集団を守護する祖先の神秘力を造形したものであり、舞踏もまた神秘的な力を招来する表現である。コンゴはまたアフリカ音楽でも特別の地位を保っている。コンゴ・ジャズと称されたアップテンポの音楽は、リンガラ・ミュージックとよびかえられて、東アフリカやカメルーン、ナイジェリアなどの人々に好まれ、世界中の音楽ファンをも魅了している。[赤阪 賢]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

コンゴ

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