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コンスタンチノープル

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

コンスタンチノープル
Constantinopolis; Kōnstantinoupolis; Constantinople
ビザンチン帝国の首都。現在名イスタンブール。 324年秋コンスタンチヌス1世 (大帝)がリキニウスを破ってローマ帝国ただ1人の正帝になったことを記念して,旧ギリシア植民市ビザンチオンを改築し,新たに「コンスタンチノポリス」,すなわち「コンスタンチヌスの都」と命名,330年5月 11日にローマ帝国東方領の行政首都としたことに始る。旧市の城壁から西に約 3kmのところに城壁が建造され (コンスタンチヌスの城壁) ,金角湾とマルマラ海を結んだが,テオドシウス帝 (在位 379~395) のとき,これよりさらに 2km西の地点に,全長 7kmの外壁と内壁よりなる2重の城壁 (テオドシウスの城壁) ができた。以後 1453年の陥落まで首都の規模は変ることはなかった。また首都の建築物もユスチニアヌス帝 (在位 527~565) の建築事業をもって一応の完成をみた。大宮殿,9つの宮殿,元老院,市議事堂,裁判所,刑務所,153を数える浴場,ヒポドローム (大競技場) と小競技場,4つの劇場,病院,救貧院,孤児院,養老院,武器庫,400を数える教会 (とりわけハギア・ソフィアは著名) ,修道院,9つの港,ウァレンス帝とユスチニアヌス帝が敷設した水道と無数の地下貯水タンク,練兵場,穀物貯蔵庫,貨幣鋳造所などがあり,これらが市の中心アウグスチオン広場にあるミリオン (軍道の里程標) のあるアーチを出発点にしたメゼー (凱旋通り) を中心に建てられていた。 381年この地で第2回公会議が開かれ,その大司教座がローマのそれに次いで第2位となることが決議され,宗教的にも東方のキリスト教の中心地となった。ローマに似せ,14の区,7つの丘に建てられた「第2のローマ」は,西ローマ帝国の滅亡とともに,ヘラクリウス帝以後テマ制度を基盤に,ギリシア語を公用語とし,ギリシア的キリスト教観をもち,ギリシア文化の伝統のうえに立った旧ローマをしのぐ「新しいローマ」となった。6世紀の初めに 50万,中世盛期には 100万をこす人口を擁したといわれ,文化,政治,経済,宗教の一大中心地であり,中世を通じて第一級の国際都市であった。 1204~61年の間は第4次十字軍により占領されたが,その後 1453年オスマン・トルコに征服されるまで帝国の首都としての機能を果した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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精選版 日本国語大辞典

コンスタンチノープル
(Constantinople) 「コンスタンティノポリス」の英語形。

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デジタル大辞泉

コンスタンチノープル(Constantinople)

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