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コンディヤック

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

コンディヤック
Condillac, Etienne Bonnot de
[生]1715.9.30. グルノーブル
[没]1780.8.3. オルレアン近郊
フランスの哲学者。歴史家,空想的共産主義理論家マブリー・コンディヤックの弟。百科全書派の一人 (→アンシクロペディスト ) 。 18世紀感覚論の代表者。『人間の認識の起源に関する試論』 Essai sur l'origine des connaissances humaines (1746) では J.ロックに従って感覚と反省との二元論を認めていたが,主著『感覚論』 Traité des sensations (54) では感覚一元論になり,意識の内容をすべて「変形された感覚」として,18世紀フランス唯物論の基礎を築いた。デカルトの合理主義には同意したが,その本有観念の理論をはじめ,17世紀の形而上学を排撃した。しかし『体系論』 Traité des systèmes (49) や『論理学』 La logique (80) においては,感覚は事物の現象を知覚するのみでその本質や実体は認識できないとして不可知論的傾向を示している。経済学では,商工業の生産性を主張してフィジオクラシー (重農主義) 批判を行なっている。

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デジタル大辞泉

コンディヤック(Étienne Bonnot de Condillac)
[1715~1780]フランス哲学者ロック経験論を徹底させた感覚論哲学をうちたてた。著「感覚論」「体系論」など。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

コンディヤック【Étienne Bonnot de Condillac】
1715‐80
フランスの哲学者。法服貴族マブリ子爵を父としてグルノーブルに生まれた。パリで神学を学び,1740年僧職につく。当時まだ無名のディドロ,ルソーたち新時代の知識人と親しく交わった。58年から9年間ルイ15世の孫,大公子フェルディナンの家庭教師としてイタリアのパルマに滞在,のちにその《講義録》(1775)を出版した。67年に帰国,翌年フランス・アカデミーの会員に選ばれた。晩年はボジャンシーの近くの田園に隠棲した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

コンディヤック【Étienne Bonnot de Condillac】
1715~1780 フランスの哲学者。ロックより出発し、感覚一元論の立場をとるが、フランス唯物論などにも多大の影響を与えた。著「感覚論」など。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

コンディヤック
こんでぃやっく
tienne Bonnet de Condillac
(1715―1780)
フランスの哲学者。9月30日グルノーブルに生まれる。パリで神学を修め、ミュローの修道院長となったが、主としてパリのサロンでディドロやルソーなどの啓蒙(けいもう)思想家と交わり、彼らとの交遊を通して感覚論の哲学を構想した。実際、主著『感覚論』(1754)の有名な「彫像」の比喩(ひゆ)を彼に示唆したのは、サロンの常連フェラン嬢であった。
 最初の著作『人間の認識の起源に関する試論』(1746)はほぼロックの認識論を継承しているが、ことばの果たす役割を強調したところに彼の特色がある。感覚に由来する単純観念はことばと結び付くことによって、初めて他の観念と結び付くことができる、というのである。『体系論』(1749)は人間精神の体系的発展を歴史的に説明することによって、デカルト、スピノザ、ライプニッツらの思弁的形而上(けいじじょう)学に「最後の一撃を食らわせた」。
 1752年ベルリン・アカデミーに迎えられ、1758~1767年パルム公の世継ぎフェルディナントFerdinand de Bourbon(1751―1802)の傅育(ふいく)官を務めた。帰国後1768年アカデミー・フランセーズの会員に選出される。『商業と政治との相関的考察』(1776)で、富はすべて労働に基づくと指摘したことから、彼もまた経済学の父の一人に数えられている。コンディヤックはときおり唯物論者あるいは仮面の無神論者とみなされているが、彼自身は自らキリスト教徒であると信じ、そう述べている。しかし彼が観念学派idologistesの真の創始者であることに異論の余地はない。ほかに『動物論』(1755)、『学習課程』(1775)、遺稿『論理学』(1780)、『計算の言語』(1798)などの著作がある。1780年8月3日没。[坂井昭宏]

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精選版 日本国語大辞典

コンディヤック
(Étienne Bonnot de Condillac エティエンヌ=ボノ=ド━) フランスの哲学者。ロックの認識論をさらに徹底させ、すべての精神活動の源泉を感覚に帰した。主著「人間認識の起源に関する試論」「感覚論」など。(一七一五‐八〇

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