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サド

デジタル大辞泉

サド(Donatien Alphonse François de Sade)
[1740~1814]フランスの小説家。通称サド侯爵(マルキ=ド=サド、Marquis de Sade)。性的倒錯を題材としたその作品により、サディズムの名が起こった。作「美徳の不幸」「悪徳の栄え」など。

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サド
サディズム」「サディスト」の。⇔マゾ

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世界大百科事典 第2版

サド【Donatien Alphonse François de Sade】
1740‐1814
フランスの小説家。通称マルキ・ド・サドMarquis de Sade(サド侯爵)。ペトラルカの愛人ラウラ家系にもつサド家はプロバンス地方の名家だった。七年戦争に参加したのち,司法官の娘と結婚したが,アルクイユの乞食女鞭打事件(1768),マルセイユのボンボン事件(1772)などのスキャンダルを引き起こし,ために生涯の3分の1以上を獄中で過ごすことになる。バンセンヌおよびバスティーユの獄中で精力的に執筆活動をした。

出典:株式会社平凡社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

サド
Sade, Donatien Alphonse François, Comte de
[生]1740.6.2. パリ
[没]1814.12.2. セーヌ,シャラントン
フランスの小説家。通称マルキ・ド・サド Marquis de Sade。伯爵であったが侯爵と呼ばれる。軍人になったが,スキャンダルを起し投獄され,以後生涯の3分の1以上を獄につながれ,精神病院で死んだ。その作品に倒錯性欲を描いたため (サディズムという言葉は彼に由来する) ,わいせつと不道徳を理由にあらゆる検閲を受けたが,20世紀に入ってから,人間の根源的自由を求めて大胆な挑戦を試みた者として高く評価されるにいたった。主著ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』 Justine,ou les Malheurs de la vertu (1791) ,『新ジュスティーヌ』 La Nouvelle Justine (97) ,『ジュリエット物語あるいは悪徳栄え』 Histoire de Juliette,ou les Prospérités du vice (97) ,『ソドム 120日』 Les 120 Journées de Sodome (85執筆,1904刊) など。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

サド
さど
Donatien-Alphonse-François, Marquis de Sade
(1740―1814)

フランスの作家、思想家。通称マルキ・ド・サド(サド侯爵)。詩聖ペトラルカにたたえられた美女ラウラ・デ・ノベスLaura de Noves(1310―1348)の血を引く由緒ある貴族の家に生まれる。10歳でイエズス会の名門校であるパリのルイ・ル・グランに入学、4年後には選良貴族の子弟を教育するシュボ・レジェ校に進み、1755年には国王付き歩兵連隊の士官に任命されている。しかしその後、物ごいをしていた女を監禁したうえに拷問にかけたという「アルクイユ事件」(1768)、また娼婦(しょうふ)たちを集めて乱行に及んだという「マルセイユ事件」(1772)で醜聞を引き起こす。毒殺未遂と男色のかどで官憲に追われる身となったサドは、入獄と脱獄を繰り返したのち、1784年からバスチーユの「自由の塔」に拘留される。このころすでに囚人作家として出発していたが、当局から危険視され、シャラントン精神科病院に移され、ここで大革命を迎える。大革命によって自由の身となるが、反革命の嫌疑で逮捕(1793)、出獄後に『新ジュスチーヌ』(1797)が良俗を乱すという理由でまたもや捕らえられ、シャラントンで没。

 彼の作品には3種の『ジュスチーヌ』のほか、『ソドムの百二十日』(1785年執筆、1904年刊)、無神論の宣言ともいうべき『司祭と瀕死(ひんし)の病人の対話』(1782年執筆、1926年刊)、『閨房(けいぼう)の哲学』(1795)、書簡体長編小説『アリーヌとバルクール』(1795)、最晩年の傑作『ガンジュ侯爵夫人』(1813)などがある。中短編小説集『恋の罪』(1800)に付された「小説論」は、サドのロマン派志向をよく示している。

[植田祐次 2015年5月19日]

『澁澤龍彦訳『新・サド選集』全8巻(1965~1966・桃源社)』『澁澤龍彦訳『閨房哲学』(角川文庫)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

サド
[1] (Donatien Alphonse François de Sade ドナティアン=アルフォンス=フランソワ=ド━) フランスの小説家。プロバンスの貴族の出身。変質的な性行による事件によりたびたび投獄され、のち精神病院に監禁されて死んだ。背徳的作家とされてきたが、人間解放の先駆者として、二〇世紀に入り評価を得、小説「ジュスティーヌ、あるいは美徳の不幸」「ジュリエット、あるいは悪徳の栄え」などは、性倒錯研究の貴重な資料ともなり、「サディズム」という語を生んだ。サド侯爵(マルキ=ド=サド)と通称。(一七四〇‐一八一四
[2] 〘名〙 「サディズム」「サディスト」の俗称。⇔マゾ
※初稿・エロ事師たち(1963)〈野坂昭如〉二「しかも先生の趣味はサドの方やねん、がんじがらめにしばり上げてまうから」

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