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サマルカンド

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

サマルカンド
Samarkand
ウズベキスタン中部,サマルカンド州の州都。首都タシケントに次ぐウズベキスタン第2の都市。タシケントの南西約 280km,ゼラフシャン川河谷の標高約 700mの地に位置する。中央アジア最古の都市の一つで,シルクロードの要地。前4世紀ソグディアナの中心都市として栄え,マラカンダと呼ばれたが,前329年アレクサンドロス3世に征服された。6世紀突厥,8世紀アラブ,9~10世紀サーマン朝,11世紀カラハン朝,のちセルジューク朝,12世紀西遼などの支配を経て,13世紀ホラズム・シャー朝に併合された。1220年チンギス・ハンの率いるモンゴル軍に破壊されたが,のち復興。14世紀から 15世紀初めにかけてチムール朝の首都となり,中央アジア最大の経済・文化中心地として繁栄した。当時の市街の中心であったレギスタン広場は今日までその名が知られている。1500年ウズベク人に征服されシャイバーニー朝支配下に入り,のちブハラ・ハン国領に,1868年にはロシア領となった。1924~30年にはウズベク=ソビエト社会主義共和国の首都。農産物加工(繰綿,織物,果実缶詰,ワイン,皮革・製靴,たばこ)を中心に工業が発展し,機械(トラクタ,自動車部品,映写機),化学(肥料)などの工業が立地する。旧市街にはシャーヒ・ジンダやグール・エミールなどの廟,ビービー・ハーヌム・モスクウルグベク・イスラム教学院など古い記念建築物が残されている。また北方にあるモンゴルに破壊された市街アフラシアブは発掘が行なわれ,全体が建築保全地域になっている。ロシア領となってから建設された新市街は広い並木通りなどが整然と配置された近代都市となっており,サマルカンド大学(1933)をはじめ,農業,医学,建築,教育などの大学,劇場,民族美術館などがあり,バス,トロリーバスなどの市内交通機関も整備されている。タシケントとテルメズを結ぶハイウェー,タシケントとトルクメニスタントルクメンバシを結ぶ鉄道が通り,空港もある。2001年世界遺産の文化遺産に登録。人口 31万2863(2007推計)。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

サマルカンド【Samarkand】
中央アジアのウズベキスタン共和国の都市。人口36万8000(1993)。ザラフシャン川流域に位置する。Samarqandとも綴られる。前4世紀のギリシア人にはマラカンダMarakanda,後5世紀以降の中国人には康国,薩末鞬,尋思干,撒馬児罕などの名で知られる。前10世紀ころから中央アジア有数のオアシス都市として発展したが,前6世紀にはアケメネス朝ペルシアの支配下に入り,前4世紀には足かけ3年間にわたる果敢な抵抗の末にアレクサンドロス大王軍門に下った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

サマルカンド
さまるかんど
Самарканд Samarkand
ウズベキスタン、サマルカンド州の州都。同国の中東部にあり、パミール高原北麓(ほくろく)から西流するゼラフシャン川の河谷に位置する。人口37万1800(2001推計)。交通の要地で、空港があり、鉄道、幹線道路も通じる。絹、毛織物、皮革、農業機械、化学肥料、建築材料、食品などの工業が盛ん。中央アジアでもっとも古い都市の一つで、14~15世紀の建造物が残されている。旧市街と、ロシア革命(1917)後、近代都市に発展した新市街地とからなり、市を二分している。総合大学があり、タシケントと並んでウズベキスタンの経済・文化の中心地で、同国第二の都市である。また史跡と温暖な気候に恵まれ、一年中観光客が絶えない。2001年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
 サマルカンド州は面積1万6400平方キロメートル、人口270万4500(2001推計)。平均気温は1月零下0.3~零下0.9℃、7月25~30℃、年降水量は200~400ミリメートルである。したがって大部分が砂漠的な植物相である。産業は農産物の加工が中心で、果樹や肉類の加工業が盛ん。機械製造工場はサマルカンドとカッタクルガンКаттакурган/Kattakurgan(人口6万7800、2001推計)に集中している。じゅうたん、木彫、金細工などの伝統工芸品もつくられている。[山下脩二]

歴史

ソグディアナのオアシス都市として紀元前500年ごろに成立した。古代の主要街区は現サマルカンド市の北東に接するアフラシアブの丘である。ここはアレクサンドロス大王が東征中、占領したマラカンダとして初めて文献に記録された。ソグド人の中心地区、粟特(ソグド)国の一つで、5世紀以降の中国の史書には悉万斤(しつまんきん)、颯秣建(さつまつけん)の名で知られ、別に康(こう)国ともよばれた。6世紀には西突厥(にしとっけつ)に支配され、714年にアラブの将軍クタイバに攻略されてからイスラムの都市となり、サーマーン朝、カラ・ハン朝、セルジューク朝、ホラズムシャー朝の中心都市の一つとなり、イスラムの学芸文化、東西中継商業の最大の中心地として繁栄した。1220年モンゴルのチンギス・ハンの侵入軍に攻略されたが、まもなく復興した。15世紀のティームール帝国の首都となり、グール・イ・ミール、ビービー・ハヌム、シャー・イ・ジンダなどの現存する建築物が建てられた。1500年シャイバーニー朝に占領され、その滅亡後に興ったブハラ・ハン国はブハラ市を首都としたので、サマルカンドの政治的地位はやや低下した。1868年帝政ロシアに占領され、1925年ウズベク共和国の首都となったが、30年にタシケントが新首都となった。[佐口 透]

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精選版 日本国語大辞典

サマルカンド
(Samarkand) ウズベキスタン共和国東部の都市。中央アジア最古の都市の一つで、古くからシルクロードの東西交易基地の一つとして栄えた。古代にはマラカンダと呼ばれ、一四、五世紀にはチムール帝国の首都となった。絹、毛織物、皮革などの工業が盛ん。イスラム建築の遺跡が多い。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

サマルカンド
Samarkand
イラン人がソグディアナの中心部に建設した都市
ザラフシャン川の南岸にあり,東西貿易の中心地の1つで,前4世紀アレクサンドロス大王の攻撃を受けたときはマラカンダと呼ばれていた。セレウコス朝シリア)・バクトリア・大月氏 (だいげつし) ・エフタル西突厥 (にしとつけつ) ・唐などの勢力が波及,南北朝・隋・唐時代の中国では康国と記された。8世紀以後イスラーム化の拠点となり,14世紀以後,ティムール朝の都として繁栄した。19世紀半ばごろ,ロシア人に占領された。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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