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サルジニア王国【サルジニアおうこく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

サルジニア王国
サルジニアおうこく
Regno di Sardegna
サボイア家を王家として,イタリアのサルジニア島とピエモンテ(→ピエモンテ州)を主領土とした王国(1720~1861)。第15代サボイアビットリオ・アメデオ2世は 1713年ユトレヒト条約でシチリアを獲得し,1717年シチリア王位を得るが,1720年のハーグ協定でシチリア島を手放す代わりにサルジニア島の領有を認められ,サルジニア王国が成立した。支配領域はサルジニア島,サボイア,ピエモンテ。ほかの北イタリア諸国が都市コムーネから君主制国家へと発展したのと違って,サボイア家の領土拡大を通じて形成された国家で,軍事的官僚的性格の強い貴族支配を特徴とした。1796年に即位したカルロ・エマヌエレ4世は翌 1797年に封建制度廃止を宣言したが,1798年フランス軍にピエモンテを占領されてサルジニア島に逃れた。1802年ピエモンテがフランスに併合されるとカルロ・エマヌエレ4世は退位し,弟のビットリオ・エマヌエレ1世が継いだ。ナポレオン体制の崩壊によって旧領を回復,ウィーン会議は旧領のほかにリグリアの領有も承認した。1821年のピエモンテ革命で国王はカルロ・フェリチェに代わり,1831年にはカルロ・アルベルトが即位した。1848年革命の動きのなかで国王は憲法を発布し,議会制を導入する一方,オーストリアに対する第1次イタリア独立戦争を開始してロンバルディアに兵を進めた。しかし独立戦争は失敗に終わり,1849年3月ノバラの戦いの敗北でカルロ・アルベルトは退位し,子のビットリオ・エマヌエレ2世が継いだ。新国王はいわゆるアルベルト憲章を維持してカミッロ・ベンソ・ディ・カブールを首相に登用し,サルジニア王国をリソルジメント運動の中心地とすることに成功した。1858年7月のナポレオン3世とのプロンビエルの密約に基づいて 1859年4月オーストリアに対する第2次イタリア独立戦争を開始,ソルフェリノの戦いで勝利を収めた。そして同 1859年7月のビラフランカの和議でロンバルディアを併合。1860年3月フランスと取り引きして,トスカナとエミリアを併合するのと引き換えにサボイアとニースをフランスに譲渡した。さらに同 1860年10月,すでにジュゼッペ・ガリバルディの征服したシチリア島と南イタリアを併合してほぼイタリアの統一を成し遂げた。1861年1月新併合地を含めた選挙でトリノに議会を招集し,3月にビットリオ・エマヌエレ2世を国王とするイタリア王国の成立を宣言して,サルジニア王国からイタリア王国への転換を実現した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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